オスマン帝国– category –
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1.オスマン帝国の皇帝
ムラト3世・引きこもり皇帝から始まったオスマン帝国衰退の始まり
ムラト3世は17世紀に生きたオスマン帝国の第12代皇帝です。 父は11代皇帝セリム2世。 祖父は10代皇帝スレイマン1世です。 スレイマンから続くオスマン帝国の全盛期に登場した皇帝でしたが。長引く戦争と財政の悪化で国が衰退。 それまで発展を続けて... -
3.オスマン帝国の皇女
アイシェ・ヒューマシャー・スルタン ミフリマーフの娘
アイシェ・ヒューマシャー・スルタンはオスマン帝国の皇女。 ミフリマーフ皇女の娘。 母の父(祖父)は10代皇帝スレイマン1世。 母の母(祖母)はハセキ・ヒュッレム・スルタン。 アイシェ・ヒューマシャー・スルタンは皇帝スレイマン1世とヒュッレム・... -
6.オスマン帝国の人々
ヨセフ・ナスィ|オスマン帝国でユダヤ人が暮らせる場所を造ろうとした大商人
ヨセフ・ナスィは16世紀のヨーロッパで活躍したユダヤ人商人。 大商人グラツィア・メンデス・ナシの甥です。 金融や貿易で財をなしたメンデス家のひとり。ポルトガル生まれのユダヤ人でしたが。キリスト教圏でのユダヤ教弾圧が厳しくなりオスマン帝国に亡... -
6.オスマン帝国の人々
グラツィア・メンデス・ナスィ|ユダヤ人保護に生涯をかけた大商人
グラツィア・メンデス・ナスィはユダヤの商人。 彼女はヨーロッパと地中海で貿易や金融活動を行う大商人でした。 事業で成功すると、ヨーロッパ各地で迫害を受けるユダヤ人の保護活動を行いました。 ヨーロッパで吹き荒れる異端尋問から何百人ものユダヤ人... -
6.オスマン帝国の人々
ガザンファー・アガ セリムとヌールバーヌを支えた従者
ガザンファー・アガはオスマン帝国の小姓・宦官。 ベネチア出身。拉致されてイスタンブルにやってきました。 10代皇帝スレイマン1世の息子・セリム皇子の小姓として仕えました。 セリム2世が皇帝に即位すると宦官になってセリム2世のハレムを管理を任さ... -
5.ハレムの人々
ジャンフェダー・ハトゥン は私服を肥やして兵士たちが激怒?
ジャンフェダー・ハトゥン(ジャンフェダー・カルファ)はドラマ「オスマン帝国外伝シーズン4」の登場人物。 ジャンフェダ・ハトゥンは実在の人物です。 セリム2世の妃ヌールーバーヌー・スルタンに仕えました。 ムラト3世の時代のハレムを仕切った人物... -
オスマン帝国について
デヴシルメとは
デヴシルメ(devşirme)とはオスマン帝国で採用された徴用制度のこと。 ほぼ強制的に人を連れて行くので税ともいわれました。 キリスト教徒の若い子どもたちがデヴシルメで集められ。イエニチェリ(常備歩兵軍団)や官僚として採用されました。デヴシルメ... -
オスマン帝国について
スレイマン1世がムスタファ皇子を処刑した理由
ムスタファ皇子(Şehzade Mustafa)はオスマン帝国 第10代皇帝・スレイマン1世の息子。 兵士や人々からの人気も高かった皇子です。でも1553年に父のスレイマン大帝の命令で処刑されてしまいました。処刑した直接の理由は「謀反を起こそうとしたから」。 ... -
オスマン帝国について
セリム皇子対バヤジット皇子の争い、その結末
オスマン帝国の10代皇帝スレイマン1世には5人の成人した息子がいました。 その中で最後まで後継者の座を争ったのがセリム皇子とバヤジット皇子です。スレイマン1世の晩年は後継者争いが激しくなり、セリム皇子とバヤジット皇子は軍を率いて戦ってしまい... -
6.オスマン帝国の人々
ララ(師父)ムスタファ・パシャ|バヤジットを裏切りセリムの味方になった?
ララ・ムスタファ・パシャはオスマン帝国の政治家で軍人。 スレイマン1世からムラト3世の時代に活躍。ベネチアが支配していたキプロス島の占領に成功したので「キプロスの征服者」として知られます。 サファビー朝との戦争ではコーカサス地方を占領する...