天は赤い河のほとり のカイルはヒッタイト帝国の第3皇子です。戦術に優れ皇位継承者の有力な候補です。
カイルのもとになった人物は紀元前14世紀後半にヒッタイトを治めたムルシリ2世。父や兄との関係や若くして王位を継いだ事情、各地への遠征などは作品と結びつく部分があります。
でも、カイルという名前やユーリとの恋愛、美男子で女性に慣れているというのは作品独自の設定です。
この記事では作品のカイルのモデルになった史実のムルシリ2世がどのような家に生まれ、なぜ王となり、どのような治世を送ったのかを紹介します。
この記事で分かること
- 天は赤い河のほとりのカイル・ムルシリとは?
- 史実のムルシリ2世の生涯
- 作品と史実での名前や身分、家族構成の違い
- ムルシリ2世の即位とアルザワなどへの軍事遠征
カイル・ムルシリとは
プロフィール
-
作品での名前:カイル・ムルシリ
-
史実上の名前:ムルシリ2世
-
作品での身分:ヒッタイト帝国の第3皇子
-
史実上の身分:ヒッタイト王国の王子、のちの大王
-
父:シュッピルリウマ1世
-
母:ヒンティ王妃
-
王国:ヒッタイト王国
-
王都:ハットゥシャ
-
在位:紀元前1320年ごろから紀元前1295年ごろ
-
主な遠征先:アルザワ、カシュカ、アッジ・ハヤサ
家族構成
-
父:シュッピルリウマ1世
-
母:ヒンティ
-
兄:アルヌワンダ2世など
-
兄弟:テリピヌ、ピヤッシリ、ザナンザなど
-
王妃:ガッスラウィヤなど
-
子:ムワタリ2世、ハットゥシリ3世など
-
作品での伴侶:ユーリ・鈴木
作品のカイルは、アニメ版でも「カイル・ムルシリ(ムルシリ2世)」という役名になっています。作品の中でカイルが成長して即位し、後世のムルシリ2世につながる人物であることが示されているのですね。
史実のムルシリ2世は、父と兄を疫病で相次いで失ったあと、若くしてヒッタイトの王となりました。即位後は周辺勢力の反乱に直面し、自ら軍を率って各地へ遠征しています。
作品のカイル・ムルシリ
ヒッタイト帝国の第3皇子
カイルは、ヒッタイト帝国を治めるシュッピルリウマ1世の皇子です。作品では第3皇子とされ、戦術に優れた皇位継承候補として描かれています。
カイルがユーリと出会ったのは、ナキア皇妃がユーリを儀式の犠牲にしようとしたことがきっかけでした。カイルはユーリを守るため、彼女を自分の側室だと宣言して宮殿へ迎えます。
当初はユーリを保護するための関係でした。ところが、カイルとユーリは戦いや宮廷内の争いを経験するうちに、お互いを大切に思うようになります。
ナキア皇妃は自分の息子を皇位につけようとしていたため、カイルは皇位継承争いにも巻き込まれました。カイルはユーリを守りながら、皇子として戦場や宮廷で自分の立場を築いていきます。
ユーリとともに王を目指す
作品では、カイルの恋愛と皇位継承が同時に進みます。
ユーリは現代日本へ帰ることを望んでいましたが、ヒッタイトで多くの人と出会い、戦いや疫病にも関わっていきました。カイルに守られるだけだったユーリも、やがて自分の判断で人々を助け、戦場へ向かうようになります。
カイルもまた、自分の望みだけで行動できる皇子ではありませんでした。ヒッタイトの皇子として国や民を守り、皇位をめぐる争いに向き合わなければならなかったのです。
二人の恋愛を中心にしながら、古代オリエントの戦争や王位継承を描いているところが、『天は赤い河のほとり』の魅力ですね。
カイルとムルシリ2世の名前の違い
「カイル」は作品独自の名前
史実の王名はムルシリです。この名前は王としての名前とされ、即位前にどのように名乗ったのかは伝わっていません。そのため『天は赤い河のほとり』ではカイルという名前が設定されています。
ヒッタイト王国には過去にムルシリという王がいたので、歴史的にはムルシリ2世と呼ばれます。でも最初のムルシリ王はムルシリ2世の父親ではありません。もっと昔の王です。
ムルシリ2世の出身とヒッタイト王家
ムルシリ2世はヒッタイト王シュッピルリウマ1世の息子として生まれました。
母はヒンティだったとされています。作品でもカイルの母はヒンティ王妃です。
父のシュッピルリウマ1世はシリア方面へ勢力を広げました。ヒッタイト王国は彼の治世に領土を拡大し、エジプトやミタンニなど周辺の大国と関わるようになりました。
ムルシリ2世には、アルヌワンダ、テリピヌ、ピヤッシリ、ザナンザなどの兄弟がいました。ただし王子たちの出生順や、それぞれの母親については不明な部分があります。
作品ではカイルが第3皇子と明確に設定されています。史実のムルシリ2世はシュッピルリウマ1世の若い息子の一人でしたが、正確に第3皇子だったとまではわかりません。
父と兄の死後に王位を継ぐ
シュッピルリウマ1世が疫病で亡くなる
シュッピルリウマ1世の治世末期、ヒッタイト王国内では疫病が広がりました。
ヒッタイト軍がシリア方面から連れ帰った捕虜とともに疫病が王国内へ入ったと考えられています。シュッピルリウマ1世も疫病にかかり亡くなりました。
父の死後、王位を継いだのは兄のアルヌワンダ2世です。
ところがアルヌワンダ2世も即位からあまり時間がたたないうちに疫病で亡くなりました。その後、ムルシリ2世が王位を継ぎました。
若い王に反発する勢力
ムルシリ2世は最初から王になることが決まっていた王子ではなかったようです。父と兄が相次いで亡くなったため、王として十分な準備をしていない若い時期に即位しました。
ヒッタイトに従っていた国や周辺勢力は、新しい王に軍事経験が少ないと判断したのでしょう。各地で反乱や離反が起こりました。
ムルシリ2世は軍を率いて反乱した国々への遠征を始めます。王位を継いだだけではヒッタイトの支配を維持できない状況だったのです。
ムルシリ2世の軍事遠征
アルザワを破る
即位初期の大きな戦いがアナトリア西部のアルザワとの戦争です。
アルザワはヒッタイトに対抗する力を持っていました。ムルシリ2世の即位後には反ヒッタイトの立場を強め、周辺の国々にも影響を及ぼします。
ムルシリ2世は軍を率いて西へ進み、アルザワを破りました。その後、アルザワの地域を複数の従属国に分け、ヒッタイトの支配下へ置きます。
若い新王に従おうとしなかった勢力に対し、ムルシリ2世は遠征によってヒッタイトの支配を保ちました。
北方のカシュカと戦う
ヒッタイト王国の北方にはカシュカと呼ばれる人々が暮らしていました。
カシュカは何度もヒッタイト領へ侵入し、王都ハットゥシャの周辺も脅かしていました。ムルシリ2世は西方のアルザワだけでなく、北方のカシュカに対しても軍事行動を続けています。
さらに東方ではアッジ・ハヤサなどの勢力とも戦いました。
ムルシリ2世の治世は王国の各方面で起こる反乱や侵入に対応する日々だったようです。作品のカイルが各地を転戦する戦術家として描かれている点は、こうしたムルシリ2世の遠征と重なります。
ムルシリ2世が残した疫病の祈り
長く続いた疫病
父シュッピルリウマ1世の時代に広がった疫病はムルシリ2世の治世になっても終わりませんでした。
疫病は長い期間にわたってヒッタイト王国を苦しめ、多くの人が亡くなったとされています。ムルシリ2世は、疫病が続く理由を神々への誓いや儀礼の中に探しました。
ムルシリ2世は、父シュッピルリウマ1世がエジプトとの誓約を破ったことや、神々への務めを怠ったことが災いにつながった可能性を考えます。
そして、父の行為について許しを求め疫病を終わらせてほしいと神々へ祈りました。
王として神々に許しを求める
ムルシリ2世の祈願文を記した粘土板は現在まで伝わっています。
祈願文の中で、ムルシリ2世は疫病の原因を調べ、父の時代に起きた出来事を確認しています。そのうえで、自分が王として神々に謝罪し、国を救ってほしいと願いました。
ムルシリ2世の容姿や普段の性格を詳しく伝える文章は多くありません。それでも、疫病の原因を父の治世までさかのぼって調べ、自ら祈願文を残したことは確認できます。
王が神々との関係に責任を持つという当時の考え方に従い、ムルシリ2世は疫病への対応を続けたのでしょう。
作品のカイルは、自分の幸福よりも国や民を優先する皇子として描かれます。作品を作る際に、ムルシリ2世の祈願文や王としての行動が参考にされた可能性もありそうです。
カイルとムルシリ2世の共通点
父がシュッピルリウマ1世
作品のカイルも、史実のムルシリ2世も、父はシュッピルリウマ1世です。
母がヒンティとされている点も共通しています。カイルは名前だけを借りた人物ではなく、ヒッタイト王家の家族関係にもムルシリ2世の史実が取り入れられています。
若い時期に王位継承へ関わる
作品のカイルは、ナキア皇妃が自分の息子を即位させようとする中で命を狙われます。カイルは皇位を望むだけでなく、自分とユーリを守るためにも王位継承争いに向き合いました。
史実のムルシリ2世は、父と兄が疫病で亡くなったため王となりました。
即位までの事情は異なります。それでも、若い時期に予想外の形で王位を意識することになった点は似ています。
軍を率いて各地へ遠征
作品のカイルは戦術に優れた皇子であり、自ら戦場へ向かいます。
史実のムルシリ2世も、即位後にアルザワ、カシュカ、アッジ・ハヤサなどへ遠征しました。周辺勢力の反乱を抑え、父の時代に広がったヒッタイトの支配を維持しています。
作品におけるカイルの軍事的な能力には、ムルシリ2世の遠征が取り入れられているのかもしれません。
カイルと史実のムルシリ2世の違い
ユーリとの恋愛は作品独自の物語
ユーリは現代日本から古代ヒッタイトへやって来た主人公です。
史実のムルシリ2世の王妃にユーリやイシュタルと呼ばれる女性がいたという記録はありません。
容姿や恋愛経験はわからない
作品のカイルは美男子として描かれ女性との付き合いにも慣れています。
ヒッタイトの記録は戦争や外交、宗教儀礼などを中心に記しています。ムルシリ2世の容姿や王子時代の恋愛について詳しいことはわかりません。
カイルの外見や恋愛に関する人物像は作品の物語に合わせて加えられた設定と考えられます。
第3皇子かどうかは不明
カイルは作品の中で第3皇子とされています。史実のシュッピルリウマ1世には複数の息子がいました。でもすべての王子の出生順が明らかになっているわけではありません。
ムルシリ2世が若い息子の一人だったことはわかりますが、史実でも第3皇子だったかどうかは不明です。
史実のムルシリ2世の妻と子供
王妃ガッスラウィヤ
史実のムルシリ2世の王妃はガッスラウィヤといいます。
ガッスラウィヤはムワタリ2世らムルシリ2世の子供たちの母とされています。ムルシリ2世の即位後9年目に亡くなりました。ムルシリ2世はガッスラウィヤの死を皇太后マルニガのせいだとして追放しました。
「天は赤い河のほとり」ではムワタリ2世はユーリの子とされ、ユーリの先代王から命を狙われています。ユーリのポジションに位置する人物ですが。ユーリがムワタリ2世の死の前年まで生きていたのに比べると生きた期間は短いです。
息子ムワタリ2世
ムルシリ2世の後を継いだのは息子のムワタリ2世。母はガッスラウィヤと考えられています。
ムワタリ2世はエジプト王ラムセス2世とカデシュの戦いを行いました。
『天は赤い河のほとり』ではムワタリ2世はユーリの子の設定です。
息子ハットゥシリ3世
ハットゥシリ3世もムルシリ2世の息子です。
子供のころは体が弱く父の命により神官となりました。
ムワタリ2世の死後は彼の息子のムルシリ3世が後を継ぎましたが。ハットゥシリ3世と対立。ムルシリ3世は追放され、ハットゥシリ3世が即位しました。即位後はエジプトのラムセス2世と和平条約を結びました。
ムルシリ2世の最期とその後の王家
ムルシリ2世がどのような事情で亡くなったのか、詳しいことはわかっていません。
在位年代には研究上の違いがありますが、紀元前1295年ごろに治世を終えたとする年代が広く使われています。その後、息子のムワタリ2世が王位を継ぎました。
王位の流れは、次のようになります。
シュッピルリウマ1世
↓
アルヌワンダ2世
↓
ムルシリ2世
↓
ムワタリ2世
↓
ムルシリ3世
↓
ハットゥシリ3世
ムルシリ2世がアレッポ王と結んだ条約は息子ムワタリ2世の時代に作り直された粘土板でも伝わっています。その粘土板は大英博物館に所蔵されています。
ムルシリ2世が各地への遠征によってヒッタイトの支配を保ったことで、息子たちはその後もエジプトやアッシリアと向き合うことができたのでしょう。
まとめ:カイルのモデルとなったムルシリ2世
『天は赤い河のほとり』のカイル・ムルシリは、紀元前14世紀後半にヒッタイトを治めたムルシリ2世をもとにした人物です。
父がシュッピルリウマ1世であること、母がヒンティとされること、若くして王位を継ぐこと、各地へ遠征することには史実との共通点があります。
カイルという名前、ユーリとの恋愛、美男子で女性に慣れているという人物像は、作品独自の設定です。史実のムルシリ2世にはガッスラウィヤという王妃がいて、息子のムワタリ2世とハットゥシリ3世もヒッタイト王となりました。
私は、疫病の原因を父の時代までさかのぼり、神々へ許しを求めたムルシリ2世の祈願文が印象に残ります。作品のカイルが国や民を優先する姿と重ねて読むと、カイルという人物の見え方も少し変わるかもしれません。
カイルを入り口にしてヒッタイト王家をたどると、シュッピルリウマ1世の遠征から、ムワタリ2世とラムセス2世によるカデシュの戦いまで、物語の背景がさらに楽しめますね。


コメント