キックリは『天は赤い河のほとり』でカイルの侍従や御者として活躍します。
キックリは古代ヒッタイトの歴史の中に実在した人物がモデルになっています。
この記事では劇中でのキックリの活躍を振り返りつつ、モデルとなった実在の馬調教師キックリの生涯と功績について、分かりやすく紹介していきます。
この記事で分かること
- キックリは実在した人物なのかどうか
- 漫画のキックリと史実キックリの共通点
- 侍従や御者、家族に関する設定の違い
- キックリ文書と外伝のつながり
『天は赤い河のほとり』のキックリとは
まずは『天は赤い河のほとり』のキックリがどういう人物なのかみていきましょう。
プロフィール・家族構成
| 名前 | キックリ |
|---|---|
| 民族 | フルリ人 |
| 所属 | ヒッタイト帝国 |
| 主君 | カイル・ムルシリ |
| 立場 | 侍従、チャリオットの御者、のちに馬事総監 |
| 父 | 名前は不明。ヒッタイトへ移住したフルリ人 |
| 母 | 不明 |
| 妻 | リュイ、シャラ |
| 子 | ヤズ、キシュ、バハル、ギュズ |
| 外見 | そばかすのある顔、細い目、額当て |
父の代からヒッタイトに暮らすフルリ人
キックリは父親の代にヒッタイトへ移り住んできたフルリ人です。
父親の名前や移住の詳しい事情は描かれていませんが、キックリ自身はヒッタイトの宮廷で育ち幼いころからカイルに仕えてきました。
フルリ人という設定は実在のキックリがミタンニ出身だったという史実に基づいた設定です。というのもミタンニ王国はフルリ人が作った国だからです。劇中ではやがて馬の専門家として才能を発揮する展開にも、この生い立ちがかされています。
幼いころからカイルに仕える侍従
キックリの主な仕事はカイルの身の回りの世話や宮廷内の連絡、外出時の随行です。
政治や外交の参謀として助言するイル・バーニに対してキックリはカイルのすぐそばで実務を担当する存在でした。幼少期からともに過ごしているので、カイルのわずかな表情の変化や感情の動きにもすぐに気づきます。
戦争が始まるとキックリはカイルが乗るチャリオットの御者となります。巧みに馬を操りながら激しい戦場を駆け抜け、主君が戦いやすい位置へと導く重要な役目を果たしたのです。
日常では身の回りを支える侍従として、戦場では命を託される御者として常にカイルのそばに居続けました。
温厚で生真面目な性格
キックリの人柄は、とても穏やかで慎重です。カイルから命じられた仕事には、いつも真面目に取り組みます。
カイルとユーリの関係も、自分の意見を押しつけるような真似はしませんでした。それどころか主人の恋が実るようにと、ユーリの女官たちとこっそり協力し合う優しさも見せています。
仕事では落ち着いた働きを見せるのですが、恋愛のことになると途端に疎くなってしまうのが彼の魅力です。生真面目なキックリが双子の姉妹に振り回されるのは、緊張感のある展開が続く中でも笑いを誘う場面でした。
ユーリを支える味方になる
ユーリが現代から古代ヒッタイトへタイムスリップしてきた当初はキックリはカイルの命令に従って彼女の身辺を保護していました。
最初は「ご主人様が大切にしているお客様」として接していましたが、次第にユーリ自身の勇敢な行動や思いやりに触れて心から彼女を支えるようになっていきます。
ユーリが「イシュタル女神の化身」として崇められて軍や民衆から絶大な支持を得るようになっても、キックリの態度は変わりませんでした。
カイルの生涯の伴侶としてユーリを温かく受け入れてすぐそばで二人を支え続けたのです。
リュイとシャラの二人を妻に迎える
キックリはユーリに仕える双子の女官、リュイとシャラの両方から思いを寄せられました。
ところが極度の奥手で生真面目なキックリは二人を見分けることができず、自分はリュイとだけ交際していると思い込んでいました。実際には、シャラもリュイの振りをしてキックリに会いに行っていたのです。
やがてシャラの妊娠が発覚したことで、この複雑な事情が明らかになりました。責任感の強いキックリは最終的にリュイとシャラの二人ともを妻として迎える決断をします。
シャラとの間には、男子の双子であるヤズとキシュ、そして女子の双子であるバハルとギュズという、にぎやかな子どもたちに恵まれました。
本編終了後は馬事総監になる
外伝「キックリの一日」では、キックリが「馬事総監」という重要な役職に就いている姿が描かれています。
国家の馬の育成や調教を統括し、自身が培った訓練法を粘土板に書き残しました。この粘土板が3000年の時を経て現代に発掘されるという形で、実在の「キックリ文書」へとつながっていくという展開です。
若いころにカイルのチャリオットを操り、馬とともに戦場を駆け抜けた経験が、馬術の専門家としての経歴に結びついたと言えますね。カイルとユーリの子どもたちが成長したあとも、キックリは変わらぬ忠義をもって皇帝一家に仕え続けました。
劇中のキックリのモデルは誰?
モデルとなったのは古代ミタンニ出身の実在の馬調教師「キックリ」です。
実在のキックリは軍隊の要だったチャリオットを曳く馬の訓練法や、体調管理に関する高度な知識をヒッタイトにもたらしました。彼が伝えた知識は楔形文字で粘土板に記録され、現代では「キックリ文書」と呼ばれています。
作中では、この実在の人物から名前やフルリ人という出自、そして最終的に馬事総監になって粘土板を残すという経歴を取り入れました。
でも、カイルの侍従だったことや戦場で御者を務めたこと、リュイやシャラと結婚したことなどは物語のために作られた設定です。
実在したキックリとは
プロフィール・家族構成
| 名前 | キックリ(Kikkuli) |
|---|---|
| 生没年 | 不明 |
| 出身地 | ミタンニ |
| 民族 | フルリ人と考えられる |
| 活動時期 | 紀元前15世紀ごろ |
| 活動地域 | ヒッタイト王国 |
| 職業 | 馬の調教師 |
| 父 | 不明 |
| 母 | 不明 |
| 妻 | 不明 |
| 子 | 不明 |
ミタンニ出身の馬調教師
史実に登場するキックリは紀元前15世紀ごろに活動したミタンニ出身の馬調教師です。
ヒッタイトの首都ハットゥシャ、現在のトルコにあるボアズキョイから発掘された粘土板には冒頭に次のような文章が刻まれています。
「ミタンニの地の馬調教師キックリは、次のように語る」
この一行の記述によって、彼の名前と出身地、そして専門職が現代の私たちに伝わることになりました。
キックリの故郷であるミタンニは、現在のシリア北部からイラク北部にかけて栄えた王国です。住民の多くはフルリ語を話し、当時としては進んだ馬の飼育技術や戦車運用術を持っていたとされています。
キックリの生い立ち
実在したキックリの両親や家族に関する記録は残っていません。
どのような家庭環境で育ち、誰から馬の扱いを学んだのかも分かっていません。ミタンニの王宮に抱えられていた専門家だったのか、あるいは馬を育てる民間の集団に属していたのかも不明です。
でも彼が粘土板に残した訓練法には馬の運動量、休息の取り方、餌や水の与え方、毎日の手入れに至るまで、驚くほど詳しい知識が含まれていました。長年にわたって馬の状態を観察し、実践を重ねてきた熟練の調教師であったことがうかがえます。
なぜヒッタイトで活動したのか
キックリがどのような経緯で故郷ミタンニを離れてヒッタイトへ渡ったのかについては、史料が存在しません。
ヒッタイト側が進んだ馬術を取り入れるため技術者として招いたのかもしれません。両国間の外交交渉の一環として派遣された可能性もあります。あるいは当時の社会情勢や政変によって移住することになったのかもしれません。
確かなのは彼の訓練法がヒッタイトで記録され、王国の重要な文書として都の文書庫に保管されたという事実です。ヒッタイトが軍事力を強化するため、ミタンニの高度な馬術を必要としていたことが分かりますね。
戦車を曳く馬の訓練を伝える
キックリがヒッタイトで果たした最大の役割は戦車であるチャリオットを曳く軍馬の訓練法と体調管理法を伝えたことです。
古代の戦場ではチャリオットは現代の装甲車両にもたとえられる有力な兵器でした。そこにつながれる馬には足の速さだけでなく、車体を引きながら長距離を移動して激しい戦闘に耐える持久力が求められたのです。
キックリが残した訓練法は厳しい運動を続けさせるのではなく、負荷の高い運動と十分な休息を規則正しく組み合わせるものでした。運動後に与える餌の量や水を与える時期や汗をかいた馬体の手入れまで詳しく指示しています。
現代で言えばスポーツ科学に基づいて訓練計画を立てる指導者のような存在だったと言えますね。
キックリ文書を残した功績
キックリがもたらした馬の育成方法は楔形文字を使って粘土板に詳しく書き記されました。
キックリ本人が直接文字を粘土板に刻んだのか、それとも彼の言葉をヒッタイトの書記が書き取ったのかは分かっていません。文章自体は主にヒッタイト語で書かれていますが、馬の専門用語にはミタンニに由来する言葉がそのまま使われています。
遺跡からは彼が活動していた時代よりも後に書き写されたと考えられる複製も発見されました。このことから、ヒッタイト帝国が何世代にもわたってキックリの訓練法を軍馬育成の手引きとして継承していたことがうかがえます。
政治家や将軍のように歴史の表舞台で華々しい記録を残した人物ではありません。それでも馬調教の専門家としての仕事内容が3000年以上の時を越えて現代に伝わっているのは、大きな功績ですね。
現代の訓練法との共通点
キックリが定めた訓練メニューは、強い運動と軽い運動、そして完全な休養を一定の間隔で繰り返す内容になっています。この方法は、現代のアスリートや競走馬の訓練で用いられる「インターバル・トレーニング」の考え方と共通する部分があります。
もちろん、古代のキックリが現代的な運動生理学の知識を持っていたわけではありません。毎日の観察と経験の積み重ねによって、馬の健康を保ちながら持久力を高める方法を見つけ出したのでしょう。
1991年から1992年にかけて、オーストラリアでは「キックリ文書」の記述を参考にして馬を訓練する再現実験も行われました。古代と現代では馬の品種や飼料などの条件が異なりますが、キックリの訓練法には合理的な部分があることが確認されています。
キックリの晩年と最期
実在したキックリがどのような晩年を過ごしたのかについては、記録が残されていません。
ヒッタイトで何年間働き、誰に仕え、弟子を育てたのかも分かっていません。役割を終えて故郷ミタンニへ帰ったのか、あるいはヒッタイトの地で亡くなったのかも不明です。
劇中のようにムルシリ2世、つまりカイルのモデルとなった王に直接仕えたという史料もありません。キックリの活動時期は、ムルシリ2世の時代よりも早かったと考えられています。
個人としてどのような人生を送ったのかは分かりませんが、彼が残した馬に関する知識は、粘土板を通じて歴史に刻まれました。
劇中のキックリと実在のキックリの違い
劇中のキックリと史実のキックリには、次のような違いがあります。
| 項目 | 劇中のキックリ | 実在のキックリ |
|---|---|---|
| 出身 | 父の代からヒッタイトに住むフルリ人 | ミタンニ出身のフルリ人 |
| 立場 | カイルの侍従、チャリオットの御者 | 馬の専門調教師 |
| 主君 | カイル・ムルシリ | 不明 |
| 家族 | 妻はリュイとシャラ。子どもは4人 | 記録なし |
| 馬との関わり | 御者を務め、のちに馬事総監となる | 戦車馬の訓練法を伝える |
| 残した業績 | 外伝で馬の訓練法を粘土板に記録する | 訓練法が「キックリ文書」として残る |
こうして見比べると、作中のキックリは史実の「名前」「出自」「馬の専門家」という要素を巧みに取り入れながら、物語を彩る魅力的な人物として描き直されていることが分かりますね。
まとめ
『天は赤い河のほとり』に登場するキックリは、幼いころからカイル皇子に寄り添い、身の回りの世話から戦場での御者までこなす優秀な侍従でした。
ユーリとも深い信頼関係を築き、私生活では双子の姉妹リュイとシャラを妻に迎えて、にぎやかな家庭を築きます。そして物語の最後には馬事総監となり、自身の経験を粘土板に残すという、胸が熱くなる結末を迎えました。
そのモデルとなった実在のキックリは、紀元前15世紀ごろにミタンニからヒッタイトへ渡った馬調教師です。彼が伝えた合理的な訓練法は「キックリ文書」として粘土板に刻まれ、ヒッタイトの軍馬を育成するための貴重な知識として後世へ受け継がれました。
実在のキックリがカイルに仕えたという直接の記録はありません。しかし、史実にある「歴史に名を残した馬術の専門家」という要素を、主君への忠義と温かい人柄を持つ侍従の物語に取り入れた篠原千絵先生の構成は、見事だと思います。
カイルの傍らで真面目に働き続けたキックリが、最終的に「歴史に名を残す馬の専門家」になっていくのは面白いエスね。


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