ザナンザは、ヒッタイトの大王シュッピルリウマ1世の息子です。エジプト王妃から夫として望まれ、将来のエジプト王になるために故国を旅立ちました。
ところが、ザナンザは王妃のもとへ到着する前に命を落とします。ヒッタイト側はエジプト人による殺害と考えましたが、誰が何のために襲ったのかを証明できる記録は残っていません。
ザナンザの死は、父シュッピルリウマ1世による報復につながり、ヒッタイト国内で疫病が広がる原因にもなりました。この記事では、ザナンザの家族やエジプト王妃から届いた手紙、暗殺説の根拠、事件後の両国について紹介します。
ザナンザとは?
プロフィール
- 名前:ザナンザ(別名:ザナンザ/英語表記:Zannanza)
- 生年:不明
- 没年:紀元前14世紀ごろ
家族構成
- 父:シュッピルリウマ1世
- 母:ヘンティ?
- 兄弟:アルヌワンダ2世、ムルシリ2世、ピヤシリ、テリピヌ
- 姉妹:人数、名前ともに不明
ザナンザの出身と家族
ザナンザは古代アナトリア、現在のトルコ周辺を支配したヒッタイト王国の王子として生まれました。
父親は、ヒッタイトの勢力を一気に拡大させた大王シュッピルリウマ1世です。母親については、王の最初の妃だったヘンティという女性の可能性がありますが、真相は分かっていません。
ザナンザが生まれた年は不明で、ヒッタイトの都ハットゥシャで育ったと考えられています。
兄弟にはのちに父の後を継いだアルヌワンダ2世や、ヒッタイト王となったムルシリ2世がいました。他にもカルケミシュの副王になったピヤシリ、ハルパの副王になったテリピヌなど、重要な役目を任された兄弟が何人もいたようです。名前の分からない姉妹もいたとされます。
ザナンザ自身が結婚していたのか、子どもがいたのかも記録には残っていません。エジプトへ向かう前の彼に関する経歴はほとんど分かっていないのです。
エジプト王妃から届いた衝撃のメッセージ
紀元前14世紀、古代エジプト第18王朝の王が亡くなりました。すると残された王妃からヒッタイト王シュッピルリウマ1世のもとへ手紙が届きます。
ヒッタイト側の記録『シュッピルリウマ偉業録』などでは、この王妃は「ダハムンズ」と呼ばれています。
ただし、これは個人の名前ではないようです。エジプト語の「王の妻」を意味する「タ・ヘメト・ネスウト」という称号をヒッタイト側が記録したものという説が有力です。
そのため手紙を書いた女性が誰だったのかは現在もわかっていません。候補としては、ツタンカーメンの妃だったアンケセナーメンや、メリトアテン、ネフェルティティなどの名前が挙がっています。
王妃は手紙の中で、次のように訴えました。
夫が亡くなりました。息子はいません。しかし、あなたにとっては、息子は多いと言われます。もしあなたの息子を一人私に与えてくれるなら、彼は私の夫になるでしょう。私は決して召使いを選び、夫にすることはない。怖い
出典「ダハンムズからシュッピルリウマへの書簡」
ヒッタイトの王子を夫に迎え、その人物をエジプトの新しい王にしたいという、驚くべき申し入れだったのです。
疑うシュッピルリウマ1世と焦る王妃
ヒッタイトの歴史でエジプトからこのような要求はそれまで一度もありませんでした。
さらに当時のエジプト王家では高い身分の王族女性を外国へ嫁がせることさえ避けていました。それにもかかわらず、エジプト側から外国の王子を夫として求めてきたのですから、シュッピルリウマ1世が警戒するのも無理はありません。
シュッピルリウマ1世はエジプト側が自分をだまそうとしていると疑って、真相を確かめるために使者を派遣しました。
その後、エジプト王妃から再び切実な手紙が届きます。
なぜ「彼らは私を騙す」とそんな言い方をしたのですか?もし私に息子がいたら、自分自身と国の恥について外国に書き込んだでしょうか?あなたは私を信じず、そんなことを私に話しかけたこともない!私の夫であった彼は亡くなった。息子はいない!私は自分の召使いを夫にすることは決してない!私は他の国に手紙を書いたことはないが、あなただけに書いた!あなたの子は多いと言われています。だから私にあなたの子を一人ください!私にとっては夫ですが、エジプトにとっては王です。
出典「ダハンムズからシュッピルリウマへの書簡」
この言葉からは、王妃がエジプト国内の特定の人物との結婚を避けようとしていた様子が伝わってきます。
王妃が誰を警戒していたのかは分かっていませんが、宮廷内で追い詰められていたのかもしれません。
ザナンザがエジプトへ出発
それでもシュッピルリウマ1世は息子が人質になるのではないかと疑いました。でも王妃の言葉が事実であれば、シュッピルリウマ1世の息子がエジプト王になれる可能性がありました。
当時、ヒッタイトとエジプトはシリアの支配権をめぐって対立していました。シュッピルリウマ1世にとって息子をエジプト王にできれば、両国の関係をヒッタイトに有利なものへ変えられます。
こうしてシュッピルリウマ1世はエジプト側との和平交渉の末にエジプト王妃の申し入れを受け入れ、息子のザナンザをエジプトへ送る決定をしました。
ザナンザはエジプト王妃と結婚してエジプト王になるという大きな期待を背負って旅立ちます。
数いる兄弟の中で、なぜザナンザが選ばれたのかは分かっていません。長兄のアルヌワンダ2世は父の後継者だったのでヒッタイトを離れられなかったのでしょう。
王妃の正体
王妃ダハムンズはアンケセナーメンだった?
手紙を送った王妃がだれなのかはわかっていません。
げんざい有力なのはツタンカーメンの妻・アンケセナーメンという説です。
ヒッタイトの記録にある亡きエジプト王の名前「ニブルリヤ」が、ツタンカーメンの即位名であるネブケペルウラーの発音に似ていることが、その理由です。
若くして夫を亡くし後継者もいなかったアンケセナーメンが、自らの立場を守るために外国へ助けを求めたと考えると当時の切迫した状況が伝わってきますね。
一方で、「ニブルリヤ」を宗教改革で知られるアクエンアテンと考える説もあります。その場合は王妃の候補はネフェルティティやメリトアテンになります。
ザナンザの最期
悲劇の結末:到着しなかった王子
ところが、ザナンザはエジプトへ向かう途中で命を落としてしまいました。エジプトとの国境を越える前に消息が分からなくなったともいわれています。
彼がどこで、どのように亡くなったのか詳しい状況は分かっていません。遺体が発見されたのかどうかも不明です。
父の怒り
息子の死を知ったシュッピルリウマ1世は激怒し、エジプト側がザナンザを殺害したと非難しました。
この件をめぐって、両国の間では激しい手紙のやり取りが行われます。
当時のエジプト王はツタンカーメンの死後に王位についたアイだったと考えられています。アイはザナンザが亡くなった事実自体は認めましたが、エジプト側が殺害したことについては否定しました。
結局、犯人が誰だったのかについて双方が納得できる結論は出ませんでした。
正式な手続きを経て送り出した王子が命を落としたため、シュッピルリウマ1世はエジプトによる敵対行為だと受け止めたのでしょう。
犯人として推測されている人物たち
現代では主にアイかホルエムヘブがザナンザ殺害に関係したと考えられています。
アイ説
アイはツタンカーメンの時代に高官を務め、のちにエジプト王となった人物です。
王妃がアンケセナーメンだった場合、アイは彼女と結婚して王位につこうとしていました。ヒッタイト王子がエジプトへ到着して王になれば、アイが王になることはできません。
そのため、ザナンザの到着を阻止する理由があったのではないかと考えられているのです。実際にアイがアンケセナーメンと結婚したとする見方もありますが、詳しい事情は分かっていません。
ホルエムヘブ説
ホルエムヘブは当時の有力な軍人で、アイの娘婿ともいわれます。のちにアイの後を継いでエジプト王になった人物です。
ザナンザがエジプト王になってしまえば、ホルエムヘブも王になることはできません。彼は軍事を担う立場にいたため、国境付近でザナンザを襲撃できたのではないかという説もあります。
ただし、どちらの説も事件後の立場や利益をもとにした推測です。アイやホルエムヘブが暗殺を命じたと証明できる史料はありません。
報復戦争と疫病の拡大
息子の死に報復するため、シュッピルリウマ1世はエジプトに侵攻を命じました。
ヒッタイト軍はザナンザの兄 アルヌワンダ2世の指揮のもと、エジプトが支配していたシリア地域へ攻め込みます。ヒッタイト軍は拠点を攻撃して勝利し多くの捕虜を自国へ連れ帰りました。
ところが、捕虜が連れてこられた後、ヒッタイト国内では大規模な疫病が広がり、多くの人々が亡くなりました。報復を命じたシュッピルリウマ1世自身も、この疫病によって亡くなったと考えられています。
息子の死をきっかけに始まった軍事行動が父のシュッピルリウマ1世の死にもつながってしまったのですね。
その後の両国
ザナンザ事件とヒッタイト軍の侵攻によって、エジプトとヒッタイトの対立はさらに深まりました。
その後、エジプトでは第18王朝が終わり、第19王朝の時代を迎えます。両国はシリアの支配権をめぐって争いを続け、ラムセス2世の時代には有名な「カデシュの戦い」が起こりました。
最終的に両国は平和条約を結び、相互に援助することを約束して和解します。この条約は内容が残っている世界最古級の国際平和条約として知られています。
もともとヒッタイトとエジプトの対立はありましたが、ザナンザの婚姻は両国の平和に繋がるかもしれない出来事でした。でも最悪の結果になってしまい、両国はさらに対立することになってしまったのです。ザナンザの死は両国の王家の間に深い不信感を残した出来事だったことは確かです。
まとめと筆者の感想
エジプト王になるはずだったヒッタイト王子ザナンザは、王妃と会うことも王位につくこともできず、エジプトへ向かう途中で歴史から姿を消しました。
彼本人の言葉や人柄を伝える史料は残っていません。ザナンザが無事にエジプトへ到着し、王妃と結婚していたら、古代オリエントの国際関係はまったく違うものになっていたかもしれません。
一人の王子を迎える結婚の申し入れから、国家間の戦争や疫病の拡大にまでつながったザナンザ事件。結末を知ったうえで当時の状況を考えると、王子を送り出したシュッピルリウマ1世の葛藤や、異国からの救いを求めた王妃の心情など、さまざまな場面を想像できる興味深い出来事ですね。
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