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ロクサネ:アレキサンドロス3世の妃は大王の死後に後継者争いに巻き込まれ毒殺された

アケメネス

ロクサネはアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の妃。

もともとはバクトリア貴族の娘です。

バクトリアがアレクサンドロス3世に征服された後、彼の妃になりました。

ロクサネの息子・アレクサンドロス4世はマケドニア王の有力な候補になりますが、暗殺されてしまいます。

ロクサネについて紹介します。

目次

ロクサネの史実

名前:ロクサネ(Roxane)、ロクサーナ(Raoxshna)
地位:
生年:紀元前340年
没年:紀元前310年
父:オクシュアルテス
母:
夫:アレクサンドロス3世

子供:アレクサンドロス4世

日本では弥生時代です。

 おいたち

紀元前340年。バルフ(現在のアフガニスタン、バルフ州)でオキシアルテスというバクトリア貴族の娘として生まれました。

バルフはアケメネス朝ペルシャの支配下にあった地域です。

父のオキシアルテスはバクトリア総督ベッソスに仕えていました。

紀元前331年。ガウガメラの戦いで敗北した後。ベッソスはダレイオス3世を暗殺しました。オキシアルテスもダレイオス3世殺害に関わっていたと考えられます。

父オキシアルテスはスピタメネスと共に、ソグディアナの岩砦として知られる要塞でギリシャ軍に抵抗していました。

やがてスピタメネスとともにベッソスを裏切ってアレクサンドロス3世に差し出し、降伏しました。

ロクサネと家族はソグディアナの岩砦にいましたが、オキシアルテスの降伏後はギリシャ軍の捕虜になりました。

アレクサンドロス3世の妃になる

アレクサンドロス3世はロクサネをみるとその美しさに心を奪われ自分の妻にしようと決めました。

紀元前327年。アレクサンドロス3世はロクサネと結婚しました。盛大な結婚式が行われたと言います。

彼の仲間と将軍の強い反対にもかかわらず。その後、アレクサンドロス3世はインドへの遠征を行いました。

アレクサンドロス3世はインドに隣接していたヒンズークシュ地域の知事としてオキシアルテスを任命しました。この間、ロクサネはスーサの安全な場所にいました。

アレクサンダーがスーサに戻った後。ロクサネの兄弟を彼はエリート騎兵に昇格させました。

紀元前323年。アレクサンドロス3世がバビロンで急死。

ロクサネは彼の死後、アレクサンダーの息子を産みました。

アレクサンドロス3世の死後

ロクサネは、アレクサンダーの妃スタテイラ2世、スタイラの妹ドリュペティス。彼女のいとこで3人目の妃パリュサティス2世を殺害したと考えられています。

ロクサネの息子はアレクサンダー4世と名付けられました。アレクサンダーの母オリュンピアスによって保護されました。

紀元前316年。マケドニアで王位争いが起こります。

マケドニアのディアドコイ(将軍)の一人だったカッサンドロスがオリンピュアスを暗殺しました。カッサンドロスは自分が王になろうとしていました。

カッサンドロスはもともとアレクサンドロス3世と仲が悪く、彼を憎んでいました。そしてその憎しみは家族にも向けられました。

アレクサンドロス4世はマケドニアの正当な後継者です。

紀元前310年。アレクサンドロス4世とロクサネはカッサンドロスの命令で毒殺されました。

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

    • 太田眞一さん、こんにちは。
      ロクサネ役の方は アパルナ・ディクシット(Aparna Dixit)というインドの女優・モデルさん。
      1991年10月20日生まれです。ポロスのインド初放送が2018年なので撮影当時は26~27歳だったと思います。

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