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ラジエ・スルタン|マヒデブランが生んだ幻の皇女

オスマン帝国国旗

ラジエ・スルタンはオスマン帝国の皇女。

第10代皇帝スレイマン1世と寵妃マヒデブランの娘です。

スレイマンの娘はミフリマーフが有名ですが、ラジエは殆ど知られていません。

スレイマンの娘の中でも最も謎の多い女性です。彼女の存在さえ疑われていたこともあります。

ミフリマーフ以外の娘を認めない人たちからはマヒデブランの娘ではない、とか、孫だという意見もありました。

謎の多いラジエ・スルタンについて紹介します。

目次

ラジエ・スルタンの史実

名前: Raziye(ラジエ)
地位:オスマン帝国
生年:1516年(1525年という説も)
没年:1556年(1570年という説も)
父:スレイマン1世
母:マヒデブラン(Mahidevran Gülbahar)

Tasaziz Raziye(気ままなラジエ)と呼ばれることもあります。

1516年にマニサで生まれました。
 生年は1525年という説もあります。

父スレイマン1世が皇太子になる前、マニサで知事をしていたときです。
母はマヒデブラン。マニサのハレムで最もスレイマンの寵愛を受けていた女性です。

兄にムスタファがいます。

1520年。父スレイマン1世が皇帝になると、母と一緒にトプカプ宮殿で暮らしました。

兄ムスタファは存命しているスレイマンの皇子の中では一番の年長者。次の皇帝候補として注目されていました。

ラジエは背が高く非常に美しい王女だったといわれます。

しかしトプカプ宮殿ではスレイマンはヒュッレムを寵愛しました。ヒュッレムの子どもたちを大切にします。

マヒデブランの娘ラジエはスレイマンからはあまり可愛がられていなかったようです。ラジエは異母姉妹のミフリマーフのように影響力はもちませんでした。ミフリマーフは父スレイマン1世から非常に愛されていましたが、ラジエの美しさが羨ましかったのでラジエを嫌っていたといいます。ミフリマーフは「月と太陽の姫」と言われたりしますが実際には美人ではありませんでした。

それでもラジエが父スレイマン1世に会いたいと思えばヒュッレムやミフリマーフに頼らなければいけません。彼女たちと一緒の時間を過ごすこともあったようです。その結果、マヒデブランと過ごす時間が減りました。

祖母ハフサはスレイマンがミフリマーフばかり可愛がるので気の毒に思い、ラジエのことを可愛がっていたようです。

ムスタファがマニサの知事になると母マヒデブランと一緒にマニサで暮らしました。その後はスレイマン1世とは会っていません。

1553年。兄ムスタファが父スレイマン1世によって処刑されました。

ムスタファの死後

ラジエは母マヒデブランと一緒にブルサに移動します。

ブルサ宮殿で暮らしましたが生活は非常に苦しかったようです。母マヒデブランは借金をしなければいけないほど困窮していました。

ラジエはスーフィズム(イスラム神秘主義)に興味があったようです。当時はイスラム教でも様々な宗派があり、王族もそれぞれ信じる宗派が違うこともありました。

マヒデブランを支持していたヤヒヤ・エフェンディの影響かもしれません。

ラジエは1556年か1570ごろ死亡しました。天然痘か結核だったといわれます。

ラジエの亡骸はヤヒヤ・エフェンディと同じ墓に埋葬されています。

1556年死亡説の場合は先にラジエが埋葬され、あとからヤヒヤ・エフェンディが埋葬されたことになります。

ヤヒヤ・エフェンディ(1494-1570年)はスレイマンの乳兄弟です。ヤヒヤ・エフェンディ自身もスーフィズム(イスラム神秘主義)の信者でした。ムスタファの処刑後、マヒデブランが貧しい生活をさせられているのに反対していた人物です。

ラジエがなぜヤヒヤ・エフェンディの墓に埋葬されているのかはわかりません。親子ほど年が離れていますし、結婚したという記録はありません。生活の援助を受けていたのかもしれません。

タシュルジャルと結婚?

タシュルジャル・ヤヒヤ・ベイ(ドゥカジニ)と結婚していたと信じられていたこともあります。タシュルジャルはムスタファと親しかった人物。ムスタファが処刑されたあとに、ムスタファの死を悲しむ詩を発表しました。

でも、ラジエがタシュルジャルと結婚していたそのような記録はありません。現在ではタシュルジャルとの結婚は否定されています。

ラジエが埋葬された墓はヤヒヤ・エフェンディの墓でした。タシュルジャルはヤヒヤ・ベイと呼ばれることもあったので俗称が似ているので間違われたのかもしれません。

そこでタシュルジャルはムスタファの妹と結婚していたのではないかと考えられたようです。

ドラマ「オスマン帝国外伝」ではミフリマーフがタシュルジャルと恋仲になります。ラジエとタシュルジャルの伝説の影響かもしれません。

ドラマ「オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム」のラジエ

オスマン帝国外伝では、マヒデブランにはラジエという娘がいたけれとすでに亡くなっているという設定です。

シーズン4ではスレイマン1世の側女ナゼニンが生んだ娘が「ラジエ」と名付けられます。ドラマのラジエも生まれて早くに亡くなります。

ドラマのラジエは歴史上早世した名前のよくわからない娘をモデルにしているのかもしれません。

そのときに幼くして亡くなったマヒデブランの娘が「ラジエ」だったと明かされます。

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