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ラクシャサ(マガダ国宰相)はチャーナキヤに抵抗し続けたライバルだった

ラクシャサは古代インドの政治家。

マガダ国の宰相です。
ナンダ朝で大臣をつとめ後にマウリア朝で宰相になります。

ラクシャサとは仏教でいう羅刹の意味です。

ラクシャサは古代の部族の名前とも言われますが、アーリア人が侵入後は鬼にされてしまいました。

そんな名前をもつラクシャサはチャーナキアも認める有能な大臣でした。

ラクシャサはどのような人物だったのか紹介します。

目次

ラクシャサとは

ラクシャサは「ムドララクシャサ」というサンスクリット語の物語に登場します。物語と言ってもすべて架空というわけではなく、当時の歴史的な事実がいくらかは書かれていると言われます。

「ムドララクシャサ」ではラクシャサは、主人公チャンドラグプタの敵として描かれています。

ナンダ朝の大臣だったラクシャサ

ラクシャサは、ナンダ朝で大臣を努めていました。当時の国王はダナ・ナンダ王。

ダナ・ナンダ王は王国の第一席からチャーナキアを追放しました。王国の一席とは議会のことだろうと言われます。屈辱をうけたチャーナキアはダナナンダに復讐を誓います。

その後、チャーナキアはチャンドラグプタを育てました。そしてパルヴァテーシュヴァラ(またはパルヴァタ)という別の国の王と同盟を結び、ナンダ朝に戦いを挑みました。

チャンドラグプタとパルヴァタはナンダ王を倒した後領土を分ける約束をしていましtあ。そしてチャンドラグプタたちはパタリプトラに攻めてきました。

チャンドラグプタとパルヴァタの同盟軍の攻撃で首都パタリプトラが陥落。ダナナンダ王を倒しました。チャンドラグプタがマガダ国の新しい王になりました。

マウリア王朝の誕生です。

国を失ったラクシャサの抵抗

ラクシャサはパタリプトラから落ち延びて国を奪った者たちへの抵抗を続けました。

ラクシャサはチャンドラグプタを倒すためヴィシャカンヤ(毒娘)を刺客として送り込みました。

ところがチャーナキヤはヴィシャカンヤがパルヴァタを殺すように仕向け、ラクシャサに罪をなすりつけました。

マレーケトゥと同盟

パルバタの息子マレーケトゥは父の死がラクシャサのせいだと知り、ラクシャサの陣営に亡命しました。

チャナーキヤのスパイであるバグラヤナは、マレーケトゥの友人のふりをして同行しました。

作戦をことごとくチャーナキヤに阻止される

ラクシャサはその後もチャンドラグプタを殺害しようと様々な計画を立てました。その計画はことごとくチャーナキヤに阻止されてしまいます。

あるとき。ラクシャサはトンネルを掘り刺客をチャンドラグプタの寝室に送り込もうとしました。チャーナキヤは、アリが食べ残しを運んだ跡を見て、トンネルがあることに気づきました。そしてトンネルにいた暗殺者たちを焼き殺さしてしまいました。

パルヴァタの弟のヴァイロダカは王国の支配者になりました。チャーナキヤはパルヴァタを殺したのはラクシャサだとヴァイロダカに吹き込み、領土を分けると約束しました。ところがチャーナキヤはバイロダカを殺す計画をたてました。

チャーナキヤはマガダ国の主な建築家がラクシャサ派だと知っていました。チャンドラグプタを殺すために何か細工をするに違いないと思っていまいsた。

そこで建築家たちに、チャンドラグプタ王の行列ために凱旋用の門の制作を依頼しました。占星術的な意味で行列は夜中に行うことにしました。本当は暗くて見えにくくするためです。

そしてヴァイロダカがチャンドラグプタの象に乗って行進しました。

ところがラクシャサ派の忠実な部下たちは象に乗っているのがチャンドラグプタだと信じています。ラクシャサ派の職人たちは像が門の下に来たところでアーチを崩しました。ヴァイロダカは石の下敷きになって死亡しました。

ラクシャサはヴァイロダカを暗殺したことにされてしまいました。

反チャンドラグプタ同盟軍

その後、ラクシャサとマレーケトゥは5人の王と同盟を結びました。

カウルタ(クル)のチラヴァルマン、パラシカのメグハクシャ、マラヤのナラシムハ、カシミラのプシュカラクシャ、シンドダバ(シンド)のシンドゥセナです。

この連合軍にはチェディ、ガンダーラ、フナス、カーサ、マガダ、シャカ、ヤヴァナの各領地の兵士も含まれていました。

そのころラクシャサのスパイがパタリプトラにいることがしられてしました。ラクシャサのスパイの一人がチャンダナダサでした。チャンダナダサはラクシャサの妻を匿っていました。

その後、チャーナキヤはラクシャサのスパイも騙し、嘘の情報をラクシャサに届けさせました。さらに策略を使ってラクシャサが裏切っているとマレーケトゥに信じ込ませました。マレーケトゥはラクシャサが信じられなくなりました。さらにマレーケトゥは5人の同盟者も信じられなくなりました。

マレーケトゥは5人の同盟者を殺害。ラクシャサは逃げました。そこにチャーナキアのスパイがラクシャサに接触。チャンダナダサがラクシャサの家族の居場所を教えなかったので、処刑されることになったと聞かされました。

ラクシャサはついに降伏。マガダ国の都パタリプトラに到着しました。

チャーナキアはチャンダナダサを思う心を気に入り恩赦を与えました。

ラクシャサは謀反人ではなくなりチャンドラグプタに忠誠を誓いました。そして宰相になるように言われました。ラクシャサはその見返りにチャンダナダサとマレーケトゥへの恩赦を要求しました。その要求は認められました。

そしてチャーナキアは目的を達成したので、ラクシャサを宰相にして自らは引退しました。

この「ムドララクシャサ」ではわりとラクシャサの立場に近い視点で描かれています。ラクシャサはマガダ国のことを思う忠臣で、侵略者に奪われた国を取り戻そうと抵抗を続けます。

むしろチャーナキアの方がずるい作戦を使って悪者のような描かれ方をしています。

最後は、チャーナキアが勝ってラクシャサが負けるのですが。その能力と国や人を思う心が高く評価されチャーナキアの代わりにマガダ国の宰相になります。

あまりにもチャーナキヤの作戦がうまく行き過ぎるので、かなり脚色はされていると想いますが。戦争ですから策略があるのは当たり前。相手が悪かったということでしょうか。

パルヴァタはポロス王?

ちなみにこの「ムドララクシャサ」に登場する「パルヴァタ」は、アレクサンドロス大王の記録に出てくる「ポロス王」ではないかとも言われています。

ポロス王や同盟者の力があればダナナンダ王を倒すのは可能だったでしょう。

ポロスに「マレーケトゥ」という名前の息子がいたかどうかはわかりません。

ギリシャの記録ではポロスの死後、インド人貴族「ケテウス」が王になったとされます。ギリシャの記録によると「テケウス」はアレクサンドロスの後継者を決めるギリシャ軍の将軍同士の戦争「ディアドコイ戦争」に参戦して戦死したことになってます。

この「テケウス」が「マレーケトゥ」ではないかという説もあります。

マレーケトゥはラクシャサと別れたあとインド方面にいたギリシャ軍と行動をともにしてたのでしょうか。

でもそうなると、チャーナキアはポロスと同盟しておきながらポロスが死亡するように仕向けた人物になってしまいますね。

「パルヴァタ」はタキシラ王じゃないか?という説もあります。いったいどれが本当なのでしょうか?

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