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オスマン帝国の宗教

ダルビッシュ

オスマン帝国の宗教はイスラム教が中心でした。

イスラム教でも国や地域、時代によって少しずつ違います。

トルコのドラマ「オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム」を見ても、イスラム教の言葉や習慣がよく出てきます。私達日本人にはよくわからない部分もあります。

というわけでドラマの理解が少しでも深まるように。オスマン帝国で信じられていた宗教がどういうものか紹介します。

この記事で紹介するのは、ドラマの理解に役立つ程度の知識です。宗教が国や国民にとってどういうものだったのかを紹介します。

宗教の詳しい教えは専門の方が書かれているものを見てください。

目次

オスマン帝国の宗教

さまざまな宗教が信仰されていた

オスマン帝国は多民族国家なので宗教も多彩です。

皇帝一家や支配者層はイスラム教の人が多いです。というわけでイスラム教スンニー派が一番影響力が強くなりました。

他にもシーア派、ドゥルーズ派など他のイスラム教の人々もいました。

キリスト教徒やユダヤ教徒もありました。キリスト教も正教、カトリック、ネストリウス派など様々な宗派がありました。

オスマン帝国も建国間もないころはキリスト教徒の軍団があったり、キリスト教国と同盟したりしていました。

例えば第4代皇帝・バヤジト1世の正妻デスピナはセルビアの王女でキリスト教徒でした。ハレムの中でもヨーロッパ式の生活スタイルを守っていたようです。

建国してしばらくはオスマン帝国も力が弱かったのでキリスト教国と同盟しなければいけませんでした。

国の拡大とともにイスラム教勢力の影響力が大きくなり。イスラム世界の代表者としてキリスト教国と戦争を行いますが。ティムールやエジプト、サファビー朝など、イスラム教国とも戦争していました。

オスマン帝国の皇帝が目指したのは「イスラム教の代表者」だけでなく「世界の皇帝」でした。その想いが一番強かったのが「スレイマン1世」の時代です。

ムスリムと非ムスリムを区別

イスラム教には”イスラム法”というものがあり、信者が守るべきものが細かく決められていました。イスラム法ではムスリム(イスラム教徒)と非ムスリムをはっきり区別して非ムスリムの自由を制限していました。

オスマン帝国でもムスリムと非ムスリムは平等ではありません。イスラム教徒以外は住む場所が決められていました。ユダヤ教徒の地区、キリスト教徒の地区があったのです。

非ムスリムには人頭税が課せられましたし、属領のキリスト教徒は徴用(デヴシルメ)されました。

でも信仰を否定しているのではありません。制限を受け入れれ、税を払えば信仰を守ったまま暮らせるのです。首都イスタンブールで非ムスリムが暮らすことも可能でした。ヨーロッパを追われたユダヤ教徒もオスマン帝国では暮らすことができました。

でも同じ時期のヨーロッパは「異端尋問」「魔女狩り」「レコンキスタ」などの名目でユダヤ教徒やイスラム教徒、教会と違う信仰を持つ人を弾圧をしたり、改宗させていました。カトリックとプロテスタントも戦争していました。

異教徒が弾圧される国があったことを思えば、オスマン帝国はましなほうでした。

徐々にイスラム教が強くなる

ところが、オスマン帝国の隣にあるサファビー朝はシーア派の国でした。

そこでシーア派のサファビー朝に対抗するため。オスマン帝国はスンニー派の守護者を主張してスンニー派の支持を集めました。

年月がたてばたつほどスンニー派の影響が強い国になります。スレイマン1世よりもあとの時代になると、他の宗教への寛容さが薄れてイスラム教中心の国になります。

全ての宗教が平等になったのは19世紀に入ってから。それでもヨーロッパよりは早かったのです。

スーフィーズム(イスラム神秘主義)

オスマン帝国がアラブ諸国と違うのは、主流はスンニー派でしたが。独自の解釈で信仰している人も多かったことです。

オスマン帝国で人気があったのはスーフィーズム(イスラム神秘主義)でした。

理屈が中心で堅苦しいスンニー派のイスラム教はオスマン帝国の庶民にはなじまなかったのです。

コーランはアラビア語以外はNG

というのもコーランはアラビア語で書かれていました。しかも他の言語に翻訳が禁止されていました(現在は違います)。これはイスラム教だけではなくキリスト教も宗教改革までは聖書はラテン語で書かれていました。それを変えたのがルターです。

イスラム教もキリスト教も聖典を別の言葉で書くと元の音や響き神聖さが失われるとか意味が伝わなないとかで。他の言語へ翻訳を認めない時期があったのです。日本でも仏教の経典を漢文のままで広めているのと同じかもしれません(インドの仏教は漢文ではありませんが)。

オスマン帝国時代の信者はアラビア語で書かれたコーランを読むしかありません。でもトルコやペルシャの人はアラビア語が読めません。オスマン帝国ではアラビア文字を使ってトルコ語を書いていたので、コーランを発音するだけなら可能だったかもしれませんが。意味はわからなかったでしょう。

日本の仏教徒が漢文の経典を意味もわからずに読んでいるのと同じです。日本の庶民にとって漢文のお経が意味不明でつまらないのと同じで、オスマン帝国の庶民もアラビア語のコーランは意味不明のものでした。それでもコーランは抑揚がついて歌のように唱えられるので日本のお経よりはマシだったかもしれませんね。

とはいえ、形だけの信仰に満足できない人も出てきます。

となると祈りや修行、神がかり的なもので信仰心を高めようとしました。それがスーフィズムです。イスラム教とシャーマニズムが合体したような信仰です。

スーフィーズムの立場ではスンニー派など理屈と戒律を重視する宗派を形だけ上辺だけの信仰だとして批判しました。彼らは理屈よりも信仰心を大切にします。

スレイマンも見た?セマー(スーフィーダンス)

シーズン3でスレイマンがサファビー朝に遠征する前に、宗教施設で祈る場面があります。

そのときにくるくる踊る人たちがいました。この踊りがセマー(スーフィーダンス)です。

スーフィーダンス

踊っている人たちはダルヴィッシュ(Dervish)というスーフィーズムの修行僧です。セマーは踊ることで神との一体感を得ようという宗教儀式でした。日本でいう「踊り念仏」みたいなものです。

アラブのイスラム教とスーフィズムは、インド(現代では東南アジア)の仏教と日本仏教の違いに似ています。

現代のトルコは西洋化が進んだのでスーフィーズムは禁止されています。セマーは民俗芸能として演じられるだけです。

ちなみにスーフィーの修行僧を意味する”ダルヴィッシュ”。トルコやイランでは「精神的に強い屈強な男」という意味があるので人名として使われます。スーフィーの修行僧が貧しいながらも厳しい修行に耐え強い意志をもっていたからです。

ドラマに役立つ宗教用語

オスマン帝国がヨーロッパ・アジア・アフリカの接点にあり貿易が盛んで他民族の国だったからという理由が大きいのでしょう。

だからドラマを見ても「イスラムの国だから」といってあまり身構える必要はありません。お祈りの言葉がイスラム風だなという程度の感覚です。少しのイスラム用語を覚えてるだけでドラマが楽しめます。

・アラー
日本語の「神」、英語の「Good」と同じ、アラブの言葉で神を意味する普通名詞です。

でも日本語の「カミ」とはちょっと意味が違います。日本語では「カミ」は人を越えた能力をもつ霊的なもの全体。精霊から最高神まで幅が広いです。

Goodやアラーは宇宙を造った創造神だけ。それ以外に霊的なものがいたら天使や悪魔にしてしまいます。

イスラム教の聖典はアラビア語で書かれています。だからアラブ人でない人も神のことをアラーと言います。

誤解している日本人も多いのですがアラーは神の固有名前ではありません。アラビア語で「神」を意味する普通名詞なんです。信者はみだりに神の名前を言ってはいけないので普通名詞のアラーを使います。

だから「アラー」という名前の神はいません。

ちなみにイスラム教の神はユダヤ教やキリスト教と同じ「YHWH」で表現される神です。「ヤハウェ」と呼ばれることもあります。

・アーミン

ドラマでも登場人物がよく口にすします。
例えば
ある人が「陛下のご無事をお祈りします」と言ったら
話し相手が「アーミン」と答えます。

キリスト教の「アーメン」と同じ。
本来の意味は「確かに」「そのとおりです」
もともとはお祈りの最後に言う言葉です。
「主は◯◯と言いました。それは確かです」というぐあい。聖書やお祈りの言葉のあとに続けて念を押すための言葉です。

のちに「アーミン」と言うだけでもお祈りとしての役割をはたすようになりました。オスマン帝国の人々は会話の中でも「アーミン」をよく使いますね。

キリスト教とイスラム教はユダヤ教から独立した宗教なので共通する部分が多いのです。

 

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