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メレキー・ハトゥン キョセムの従者は野心家?それとも忠義者?

オスマン帝国国旗

メレキー・ハトゥン(Melekî Hatun)は17世紀のオスマン帝国の女性。

メレキ(Melekî)はオスマントルコ語では「天使」の意味。

キョセム・スルタン、皇帝イブラヒムの侍女でした。

キョセム・スルタンは孫のアフメト4世とその母トゥルハン・スルタンとは仲が悪く。皇帝を別の孫のスレイマンに変えようとしました。しかしメレキー・ハトゥンはキョセムの計画を知るとトゥルハン・スルタンに報告。キョセムの計画を阻止しました。

メレキー・ハトゥンはメフメト4世の母トゥルハン・スルタンから信頼され母后の侍女になりました。

トルコドラマ「新オスマン帝国外伝 影の女帝キョセム シーズン1」では子供の頃のメレキーがキョセムと知り合い、彼女の手下として働く様子が描かれます。シーズン2ではキョセムのハレムのスタッフとして働き重要な人物になります。 

メレキー・ハトゥンについて紹介します。

 

目次

メレキー・ハトゥンの史実

名前:メレキー・ハトゥン(Melekî Hatun)

国:オスマン帝国
地位:
生年:不明
没年:1656年2月27日
父:不明
母:不明
夫:シャバン・ハリフェ

生年。
両親は不明。

メレキー・ハトゥンはキョセム・スルタンの侍女(カリイェまたはオダリスク)でした。

いつハレムに来たのかは不明です。

第18代 皇帝イブラヒムの時代

1640年。ムラト4世の死後、イブラヒムが皇帝になりました。

メレキー・ハトゥンは皇帝イブラヒムの侍女(ムサヒベ)になりました。

イブラヒムの宮廷では母后キョセムが力を持っていました。イブラヒム時代のハレムを仕切っていたのはシェケルパル・ハトゥンです。

メレキー・ハトゥンは皇帝イブラヒムに気に入られていたようです。

皇帝イブラヒムは散財が多く妻や気に入ったハレムの女性たちに給金とは別に金銭を与えていました。メレキもその中に含まれていました。

皇帝イブラヒムは母后キョセムとうまくいかないこともあり緊張した関係にありました。メレキー・ハトゥンはイブラヒムに仕えていたので、キョセムとの間で難しい立場に置かれていたかも知れません。

1648年。大宰相へザルパレ・アフメト・パシャはイェニチェリに課税しようとしたところ。イェニチェリが反乱を起こしました。キョセムとウラマー(イスラム法学者)たちはイブラヒムの廃位を決定。皇帝イブラヒムと大宰相アフメトは処刑されました。

6歳のメフメト4世が即位しました。

第19代 皇帝メフメト4世の時代

力を持ち続けるキョセムとメフメトの母トゥルハンが対立

メフメト4世には母のトゥルハン・スルタンがいましたが。キョセムは母后の地位をトゥルハン・スルタンに譲って旧宮殿に引退することはせず。ヴァリデ・スルタン(母后)の役割を担当しました。

メレキもキョセムと共にトプカプ宮殿に残りました。

もちろんメフメト4世の母トゥルハン・スルタンはキョセムが力を持っているのが不満です。メフメト4世の母の立場を生かしてキョセムになかなか従おうとしません。

そこでキョセム・スルタンはトゥルハン・スルタンの影響があるメフメトの代わりにもう一人の孫スレイマンを皇帝にしようと計画しました。

ところがメレキー・ハトゥンはキョセム・スルタンの計画をトゥルハン・スルタンに教えてしまいます。

 

1651年。トゥルハン・スルタンはキョセムの反対派と手を組み配下の黒人宦官たちにキョセム・スルタンを襲撃させ殺害しました。

長く仕えたキョセムを裏切ることになりますが、キョセムがたくらんでいたのは皇帝を廃して思い通りになる幼い皇帝にすげかえること。謀反です。メレキーも難しい判断だったでしょう。トゥルハン・スルタンは皇帝アフメト4世やトゥルハンからみれば忠義者になりました。

 

母后トゥルハン スルタンの忠実な部下になる

キョセムの死後。トゥルハンが母后(ヴァリデスルタン)になりました。

メレキー・ハトゥンはトゥルハン・スルタンに仕えました。メレキは忠実に仕えたため、新たなヴァリデ・スルタンのお気に入りの従者になりました。メレキはトゥルハン・スルタンとの関係を利用して自身の地位を高めました。

メレキー・ハトゥンは宮廷に仕えるシャバン・ハリフェと結婚。夫婦はイスタンブールに家を構えました。

メレキ夫妻は街の嘆願や情報を宮廷に届けました。情報提供者や仲介者としての役割を果たしました。メレキは女性の嘆願を受け入れ、夫は男性の嘆願を受け入れました。

メレキはトゥルハンの義理の息子とトゥルハン自身との間に禁断の関係があると非難されました。

メレキ夫婦の政治的な影響力は非常に高まりました。

メレキはトルハンの義理の息子の一人と告発されたことがあります。

 

メレキー・ハトゥンの最期(プラタナス事件)

キョセム・スルタンの死後。政権に握った者たちは粛清さられキョセム派たちのように職権を乱用。

1656年。この年、オスマン軍はクレタ島でヴェネツィア軍との戦いに敗北。政府の信頼は低下。通貨が下落しました。生活に困った人々はあらゆる不満を権力を握る一部の者達のせいにしました。

兵士たちへの給与の不払いが起きてスィパーヒー、イェニチェリ達が抗議のために王宮に向かったところ警備兵から侮辱を受けました。さらに受け取った給与が少なかったので怒り出します。そしてズルナゼン・ムスタファ・パシャ将軍とボスタンクバシュ・ハサン・アガが不満を溜め込んだ兵たちを扇動して反乱を起こしました。

ボスタンクバシュ・ハサン・アガが政府と交渉。処刑すべき者たちのリストを手渡しました。その処刑リストの中にメレキー・ハトゥン夫妻の名前もありました。兵士たちの賃金不払いは宰相たちの経済政策の失策が主な原因ですが。

メレキー夫妻が宮廷と街の人をつなぐ大きな影響力を盛っていたのは確かですし。立場を利用して賄賂などをとっていました。母后たちと繋がり私利私欲を貪っていると批判されても仕方ありません。

皇帝アフメト4世はなんとか臣下たちの処刑は拒否しようとしましたが、反乱者の勢力は強く。アフメト4世も認めるしかありません。当時の大宰相達主な政治家と名指しされた者たちの処分を決定します。

1656年2月27日。メレキー・ハトゥン夫妻は他の政治家や領主たち30人とともに殺害され、遺体はスルタンアフメット広場のプラタナスに吊るされました。そのため事件をヴァカイ・ヴァクヴァキエ(プラタナス事件)と言います。

 

ドラマ

新オスマン帝国外伝 影の女帝キョセム シーズン1 
 演:Ahsen Eroğlu(アーセン・エローグル)
 導師ヒュダーイの施設「安息の館」でキョセムと知り合います。キョセムに家族を助けてもらったことから、キョセムの忠実な協力者になります。後にイスケンデルとも知り合います。

新オスマン帝国外伝 影の女帝キョセム シーズン2 
 演:Șeyma Burcu Gül(セイマ・ブルジュ・グル) 
 キョセムに仕える侍女。ハレムの女官長になります。

 

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