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ギョルゲ・ハトゥン:オスマン帝国で働く言葉の話せない人達(ディルスィズ)とは

オスマン帝国国旗

トルコドラマ「新・オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム」にはギョルゲ・ハトゥンという黒人の女性が登場します。

身体能力に優れ、ヒロイン・アナスタシアを支える頼もしい味方として登場します。

ギョルゲは一切言葉を喋らず、手話のようなものをつかっています。ギョルゲは言葉を喋ることができないのです。言葉の不住な人を一般社会では聾唖者(ろうあしゃ)といいますが。歴史用語では唖者(あしゃ)といいます。

オスマン帝国ではディルスィズといいます。

オスマン帝国の宮廷では言葉を話すことができないディルスィズ(唖者)が働いていました。手話もありました。多いときには宮廷で65人のディルスィズ(唖者)がいたといいます。

ドラマに登場するギョルゲとオスマン帝国で働いていたディルスィズ唖者(あしゃ)について紹介します。

目次

ドラマのギョルゲ・ハトゥン

名前:ギョルゲ・ハトゥン(Gölge Hatun)
演:サーシャ・ペレラ(Sasha Perera)

ギョルゲ(Gölge)はトルコ語で「影」の意味。

太皇太后サフィエに仕える使用人。言葉を話せない女奴隷。サフィエの部下・ナスフのもとで活動することもあります。

アナスタシアをさらったナスフの配下の一人でした。アナスタシアがハレムに来たときから彼女の近くにいます。普段はアナスタシア(キョセム)と同じハレムで暮らしています。

身体能力が高くアナスタシア(キョセム)の危機を何度か救い、味方のひとりになります。

ギョルゲ・ハトゥンは架空の人物ですが。オスマン帝国には実際には言葉を話すことができない人達が働いていました。そういう人たちをディルスィズ(唖者)といいます。

 

オスマン帝国の唖者(あしゃ)ディルスィズ

昔から言葉の不自由な人達はいました。でもそのような人たちは歴史の記録にはあまり残りません。世界中で様々な王朝がありますが、はっきりと宮廷で唖者を採用していることがわかるのはオスマン帝国くらいでしょう。

唖者に偏見を持つキリスト教国(だけではありませんが)から来た使者がオスマン帝国の王宮で働いている唖者を見て驚いたという記録があります。でもイギリスから来た使者はオスマン帝国の宮廷で働く唖者の洗練された働き振りを見て称賛しています。

オスマン帝国の宮廷で働く唖者はペルシャ語の「ゼーゼーバーン」あるいはトルコ語「ディルスィズ」と呼ばれました。どちらも「舌のない者」という意味です。

なぜ話すことができない?

病気や老化などの後天的な理由で声をだす能力を失う人もいますが、先天的に声を出すことができない人もいます。

オスマン帝国の宮廷で働く「ディルスィズ」は先天的に発声能力を持たない人が多かったようです。

舌を切られたから話せないのではありません。自然に発生能力を失った人たちです。

オスマン帝国で働く唖者は多くは先天的に声が出せない人。聞く力・判断力その他の能力は健常者と変わりません。

どうやって宮廷に来た?

宮廷で働くディルスィズがどうやって採用されていたのかは記録がありません。

側女や宦官と同じように奴隷として買われてやってきたのではないか?と考えることもできますし、町や村にそういう人がいるとわかれば採用されたのかもしれません。

というのも。オスマン帝国ではデヴシルメ制度があって村に徴用担当の役人が来て兵士や役人の候補生を採用しましたし。小人(ヨーロッパやペルシャ・トルコの宮廷では宮廷の人々を楽しませるために小人症の人を採用する習慣がありました)の採用のように、村や町にいい人がいると聞けば役人が行って採用する。ということもあったかも知れません。

どんなひとたち?

人種・民族・出身地はさまざまです。男性が多かったようですが宦官もいますし少ないですが女性の唖者もいました。男性でもハレムに配属されたら宦官にされてしまいます。

どうやってコミニュケーションとっているの?

オスマン帝国のディルスィズは手話を使って人との意思の伝達をしています。だからオスマン帝国の宮廷では健常者でも手話を覚えることが奨励(強制ではありません)されました。皇帝も手話を覚え、自分で使うこともできました。

手話は代々ディルスィズからディルスィズに伝わりました。

オスマン帝国の手話が現代のトルコの手話やイスラム社会の手話と同じかどうかはわかりません。

静かなのがかっこいい

オスマン帝国の宮廷。とくに皇帝の周辺では静かなのがかっこい・スマート・良いことだと考えられていました。

だから声を荒げる皇帝は見苦しい。静かな皇帝が威厳のある皇帝、かっこいい皇帝の姿でした。そういう社会では声を出せない人も働き場所があったのです。

でも15代皇帝 ムスタファ1世は手話を覚えることができなかったのでいつも声で近習に命令していました。それもらムスタファ1世は見苦しいと言われた理由の一つかもしれません。

スレイマン1世が感心した手話

手話が広まった逸話があります。

あるとき10代皇帝スレイマン1世のもとに唖者の兄弟が来て手話を披露しました。スレイマン1世は感心して、皇帝の部屋で手話を使うことを命じた。といわれます。またこの兄弟は唖者ではなく、健常者で手話を作った人だとも言われます。

15世紀後半、7代メフメト2世の時代から宮廷で唖者がいたのはわかっています。当時は手話がなかったのかもしれませんし。手話が確立して広まったのがスレイマン1世の時代だったのかも知れません。

ドラマ「オスマン帝国外伝」でも皇帝や母后たちがちょっとした手の動きや身振り手振りだけで側近に支持を出している場面があります。声に出さなくても意思が伝わるのがスマートな社会だったのです。

当然、周囲の者は相手の動作一つ一つに注意しないといけません、察する能力も必要です。トルコ人は日本人の感性に近いと言われますがそんなところにも理由があるのかも知れません。

ディルスィズは何をしている?

近習

ディルスィズは皇帝の周りに仕えていました。道化師のように皇帝を楽しませたり。皇帝の命令を伝えました。当然手話を使ってやり取りします。皇帝が外出したら一緒に出かけ、鷹狩の鷹を持ったり。皇帝が町を行列するときには人々に金貨を配る役目もしました。ときには伝令になって他の町に行くこともありました。

皇帝に仕えるディルスィズは5つの尖った飾りの付いた紫色の帽子を被っています。

皇帝以外のハレムに仕えるディルスィズもいました。皇帝だけでなく母后や妃に仕える人もいたでしょう。

身の回りに仕えて様々な雑用も行なったようです。なにしろよけないことを言わないので、静かなのが美徳のオスマン帝国の皇帝や身分の高い人の周りで仕えたようです。

後に内廷(皇帝のプライベート空間)の政治的権限が弱くなり権限の多くが大宰相府に移ると、大宰相府で働く者もいました。余計なことを言わないことが歓迎されたようです。

皇帝だけでなく地方の総督もディルスィズを雇っている人もいました。皇帝を見習ってのことのようです。

こういう役目の人たちは20世紀初期にオスマン帝国が無くなるまでいました。

処刑人

もうひとつのディルスィズの仕事が処刑人です。

スレイマン1世の息子・ムスタファ皇子を処刑するために送り込まれたのはディルスィズでした。しかしムスタファ皇子は激しく抵抗したのでディルスィズでは殺害することができず最終的にムスタファ皇子を殺害したのは門衛(カブジュ)だったといいます。

皇帝が即位した時、兄弟を殺害するのもディルスィズでした。アフメト1世の時代に兄弟殺しの慣習はなくなります。やっかいな仕事がひとつ減ったことになります。

刑罰を執行する人としての死刑執行人は別にいます。

でも王族や身分の高い人を殺害する時はディルスィズが行なったようです。なぜ高貴な人の殺害に唖者が使われたのかはわかりません。言葉が喋れないので秘密を漏らす必要がないからでしょうか。でも手話を使えば意思伝達はできます。言葉を発しない、静かに行うのがよいとされたからといわれます。

ディルスィズが処刑の時に持つのは絹の紐です。モンゴル・トルコ系の遊牧民の間では高貴な人を処刑するときは「血を流してはいけない」という決まりがあったからです。

日本でオスマン帝国の歴史を紹介するときは唖者は死刑執行の場面にしか登場しません。そのため恐ろしい死刑執行人みたいに考えている人もいるかも知れませんが。それはディルスィズの一部です。

引退

オスマン帝国の宮廷で働くディルスィズは希望すれば退職して年金をもらうことができます。ずっと宮廷にいたければ働くこともできます。

 

こうしてオスマン帝国では言葉を話せない使用人ディルスィズがいました。黒人もいます。女性のディルスィズもいます。

となるとハレムにはギョルゲ・ハトゥンのような人もいても不思議ではありません。

 

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