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ディルルバ(シャー)皇女は弟ムスタファ1世即位に執念を燃やした?

オスマン帝国国旗

ディルルバ・スルタン(Dilruba Sultan)またはシャー・スルタン(Şah Sultan)は

は16世紀末から17世紀のオスマン帝国の皇女。

13代皇帝メフメト3世の娘です。
母はハリメ・スルタン

歴史上は名前は「シャー」だったとされますが。一部の研究者の間では「ディルルバ」ともいわれます。

トルコドラマ「新オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム」では「皇女ディルルバ」の名前で登場。オスマン帝国は同名の人が多いので他の人とあまり被らないディルルバを選んだのはよかったかもしれません。

シャー(ディルルバ)・スルタンは記録がありません。政治活動には興味がなかったのではないかという説もありますし、逆に野心的だったという説もあります。

シャー(ディルルバ)・スルタンとはどのような人物だったのかご紹介します。

 

目次

シャー(ディルルバ)・スルタンの史実

名前:シャー・スルタン(Şah Sultan)/ディルルバ・スルタン(Dilruba Sultan)
国:オスマン帝国
地位:
生年:1590年ごろ?
没年: 1623年以降
父:メフメト3世
母:ハリメ・スルタン
兄:マフムト、ムスタファ1世
姉:?

夫:ダマト・カラ・ダヴド・パシャ
子:息子?

おいたち

シャー(ディルルバ)スルタンの生年は不明。

父はメフメト皇子(後の13代皇帝メフメト3世)。

母は側女のハリメ(ハリメ・スルタン)

兄に後のムスタファ皇子(後の15代皇帝 ムスタファ1世)がいます。

メフメト3世には他にアイシャ、ハティジェ(違う名前だったという説もあります)という娘がいましたが、彼女たちがハリメの娘だったかどうかはわかりません。もしハリメの娘ならシャーの同母姉になります。

1595年。父メフメト3世が即位。

1603年。父メフメト3世が崩御。異母兄アフメト1世が即位。

1604年。カラ・ダヴド・パシャ(後の大宰相)と結婚。

弟ムスタファ1世が即位

1617年。アフメト1世崩御。
1617年11月22日。兄ムスタファ1世が即位。
ムスタファ1世は精神的に不安定だったので母ハリメ・スルタンとカラ・ダヴド・パシャが大宰相になってムスタファ1世を補佐しました。

ムスタファ1世には子供がいません。カラ・ダヴド・パシャとシャー・スルタンには息子がいて、その息子を次の皇帝にする予定だ。とある国の大使が書いています。

しかしオスマン帝国では皇女の息子には皇位継承権はありません。ただの噂だったのでしょう。

しかしムスタファ1世は1618年2月26日に廃位されてしまいます。

オスマン2世の時代に暗躍?

新しく皇帝になったのはオスマン2世でした。
オスマン2世の治世ではハリメ・スルタンは旧宮殿に送られ。

オスマン2世はカラ・ダヴド・パシャを嫌っていました。シャーも形見の狭い思いをしていたでしょう。

1623年。ところがオスマン2世はイェニチェリの反乱で退位します。

兵士たちは幽閉中のムスタファ1世を担いで皇帝にしました。旧宮殿にいたハリメ・スルタンにも迎えが来てトプカプ宮殿に移されました。

母ハリメやキョセムはオスマン2世の退位運動をする兵士たちに資金援助をしていました。援助だけでなくもっと積極的に関わったのではないかという人もいますが。詳しいことはわかりません。もしかするとシャーも母と一緒にオスマン2世退位運動に関わっていたかもしれません。

ムスタファ1世の2度めの即位と退位

ハリメ・スルタンはカラ・ダヴド・パシャを大宰相にしました。

しかしハリメ・スルタンとカラ・ダヴド・パシャはオスマン2世を処刑してしまいます。兵士たちはオスマン2世を退位させたものの殺すつもりはありませんでした。

皇帝殺しをしたハリメ・スルタンはカラ・ダヴド・パシャは支持を失ってしまい、反乱が続出。

宮廷では兵士たちの怒りを鎮めるため大宰相カラ・ダヴド・パシャに責任をとらせて処刑しました。

1624年。ハリメ・スルタンは反対勢力と交渉してムスタファ1世を助けるという条件で退位させ。ムスタファ1世は再び幽閉され。ハリメ・スルタンも旧宮殿に移りました。

新しく即位したのはキョセムの息子ムラト4世です。

カラ・ダヴド・パシャの死後。シャー(ディルルバ)スルタンがどうなったのかはわかりません。

処刑されたという記録はありませんし、再婚した記録もありません。

母・ハリメ・スルタンとともに旧宮殿で暮らしたのでしょう。

どういうわけかメフメト3世のハレムの記録は少なく情報も混乱しています。

カラ・ダヴド・パシャは死後、ヘイン(裏切り者)・ダヴドと呼ばれました。オスマン2世殺害の主犯格としてかなり恨まれていました。

その妻シャー・スルタンもほとんど記録が残されていません。長い間、名前すら不明でした。現代の歴史学者は彼女の名前がシャーだと考えています。

皇帝を弟に大宰相を夫に持つ皇女ですが、ほとんど何もわかっていません。墓がどこにあるのかもわかりません。

そのためキョセムの指示で消したのではないかとも言われます。

 

ドラマの皇女ディルルバ

新オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム 2015年、トルコ 
演:(少女期)メリサ・イレイダ・オズカニック
(成人後、56話~)オイック・カレイエル

オスマン帝国皇女。ハリメの娘、ムスタファの姉。

歴史上はほとんど記録が残されていないシャー(ディルルバ)スルタンは。
皇女ディルルバの生でドラマでは積極的に動いてキョセムたちの前に立ちふさがる敵として描かれています。

ディルルバはスルタン・メフメト3世とハリメの娘。
メフメト3世にとってはマフムード、アフメトに次いで3番目の子供です。

子供時代から登場しますが。子供のときは目立った活動はしていません。

母ハリメはハリル・パシャと結婚させようと思っていましたが。自分の意志でダヴド・パシャと結婚。

弟のムスタファが即位すると母を説得してスルタン・アフメトの息子たちを投獄。キョセムと娘たちを旧宮殿に追放しました。

オスマン2世の時代には皇女ディルルバとそのハリメは、旧宮殿に追放されました。そこで彼女はオスマン2世の殺害を計画。

そして夫とともにイェニチェリの反乱を扇動。オスマン2世を廃位させ、弟のムスタファを即位させます。

母ハリメが望んでなかったにも関わらず、皇子たちの殺害を命令。最終的には皇子は助けられました。

しかし反乱が起きてムスタファ1世は退位。ディルルバはキョセムの命令で処刑されます。

シーズン1終盤のキョセムの敵として描かれます。

 

 

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