マケドニアの国王・アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)はアケメネス朝ペルシアを倒し、エジプトやインドの一部まで勢力範囲にした大帝国を作りました。
ところがアレクサンドロス3世には同性愛の噂がつきまといます。
腹心で親友だったヘファイスティオンと同性愛関係にあったんじゃないか?と言われることがあるのです。
アレクサンドロス3世は有名なのでいまさら説明は必要ないかもしれません。
アレクサンドロス3世の同性愛の相手と噂されたヘファイスティオンとはどんな人物なのか簡単に紹介します。
ヘファイスティオンとは
アレクサンドロスの御学友
マケドニアの貴族の息子。ヘファイスティオンはアレクサンドロスよりも年上。アレクサンドロスが幼い頃からともに育ちました。将来の王になる王子と将来王を支える近習がともに育てられるのはよくあることです。
有能な指揮官
成長したヘファイスティオンはアレクサンドロスを守る親衛隊になります。アレクサンドロスが王になったあとも側近として仕えました。ペルシャ遠征の初期の段階では輸送を担当したり、占領した都市の支配を任されています。
ヘファイスティオンも遠征の後半になると大軍の指揮を任されるようになります。戦闘の指揮もこなせたようです。
アレクサンドロス王から絶大な信頼を得ていたヘファイスティオンですが、遠征から戻るとしばらくして熱病にかかり死亡しました。
アレクサンドロスはヘファイスティオンの死をひどく悲しみ、彼のために盛大な葬儀を行い神殿を建てました。
男の友情
側近は他にもいます。ギリシアではもともと男同士の友愛は珍しくありません。友愛と言っても哲学的な男同士の友情みたいなものでしょうか。義兄弟とか同志といったほうが良いかもしれません。軍隊生活の長い男たちはそういう関係になりやすいといわれます。
アレクサンドロスを支える側近たちもアレクサンドロスと友愛で結ばれたひとたちです。ヘファイスティオンもその一人に過ぎません。
これだけなら有能で親しい部下で終わるところです。
なぜヘファイスティオンとアレクサンドロスの関係がホモ関係みたいに言われるのでしょうか?
まずその外見。
ヘファイスティオンはアレクサンドロスよりも長身。美形だったといいます。
でも王の近習は美形が多いです。若い頃から共に育っているので「友愛」という強い絆で結ばれています。ギリシアにいたときのアレクサンドロスにとってヘファイスティオンだけが特別だったわけではありません。
ギリシアの同性愛事情
ここでアレクサンドロスが生きた時代のギリシアの同性愛はどうなっていたのか紹介します。
古代ギリシアにも同性愛はあった
ギリシアではいつ頃から同性愛があったのかはよくわかりません。紀元前6~7世紀ころから絵画や文章などに同性愛の表現が見られます。それ以前からあったのかもしれません。表になっていないだけだったのかもしれません。一説には鉄器文明(=戦争が多い時代)とともに誕生したとも言われます。
文明が進んで男社会と女社会が生まれる。つまり男と女の役割が分けられ男は男だけでグループを作り、女は女だけでグループを作る。そんな時代になると同性愛も誕生するようです。つまり同性愛があったのは男は男同士、女は女同士の集団を作る閉じた社会だったからです。
ということは現代は男女平等が進んでいない、男女が共に生きづらい世の中になっているからLGBTQが流行っているのでしょうか。
自由なのではなく、不自由な時代だからこその反動なのかもしれません。
ギリシアの愛=同性愛
それはともかく。アレクサンドロスよりも前の時代。プラトンが生きた時代には「ギリシアの愛」とよばれる恋愛がありました。
「ギリシアの愛」とは同性愛です。恋愛対象になるのは大人の男と美少年です。
成人になる前、ヒゲが生える前の美少年を愛するのが美しい。と言われていました。いくら美形でもヒゲが生えて成人したら恋愛の対象にはなりません。短い期間だけ成立する恋愛なので「美しい」とプラトン時代のギリシア人は考えました。
ソクラテスや若い頃のプラトンなどギリシアの貴族や知識人たちには同性愛者がいました。
ギリシアの知識人たちは、男女の恋愛は子孫を残すための肉体的なもの。男と男の恋愛はもっと精神的なもので、異性との恋愛よりも尊いと考えていたようです。この考え方は異性差別ですよね。
といっても男同士がキスをしたり、一緒に寝たり、太ももを絡ませたり・・・。肉体的な関係が伴っているのは間違いありません。プラトニック・ラブと言えば精神的な恋愛とされますが、当のプラトンは同性愛者です。プラトンが同性愛を否定したのは精力が衰えた80歳になってから。
どこが魂の恋愛なのでしょうか。
アレクサンドロスがテーマなので男同士に限って話を進めますが。ギリシアには女性同士の同性愛もありました。むしろ女性同士の同性愛表現のほうが古いです。
アキレウスとパトロクロスの関係
アレクサンドロスとヘファイスティオンがホモ関係だ。という根拠のひとつはアレクサンドロスとヘファイスティオンの関係をアキレウスとパトロクロスの関係に例えることが多いからです。
一部の大王伝ではアレクサンドロスはアキレウスの墓を訪れ献花したとき、ヘファイスティオンは隣のパトロクロスの墓に献花したと書かれています。
そこまで直接的には書かなくても、アレクサンドロスとヘファイスティオンの関係をアキレウスとパトロクロスの関係に例えている記録は他にもあります。
アキレウスは神話にも登場する古代ギリシアの英雄です。アレクサンドロスの母方の祖先。つまりオリュンピアスの祖先ですし、アレクサンドロスも尊敬していました。
なぜアキレウスとパトロクロスに例えるのが問題になるかというと。
アキレウスとパトロクロスには同性愛疑惑があったからです。
「イリアス」に描かれたアキレウスとパトロクロスの物語
ホメロスが書いたとされる叙事詩「イリアス」にはトロイア戦争に出陣したアキレウスの物語があります。「トロイア戦争」とは古代ギリシアでおきたギリシア対トロイア(現在のトルコにあった国)の戦争です。
戦いの最中。捕虜にした女性の扱いをめぐってギリシア軍総大将のアガメムノンとアキレウスが仲違いしました。怒ったアキレウスは戦場に出るのを拒否。ギリシア軍は敗戦続きになります。
このときパトロクロスはアキレウスの鎧を来て戦場に出て劣勢のギリシア軍を挽回させました。ところがトロイア軍のヘクトルと戦って命を落とします。
それを知ったアキレウスは非常に嘆き悲しんで戦場に出てヘクトルを倒しパトロクロスの仇をとりました。
「イリアス」の内容からはアキレウスとパトロクロスが非常に親しい友人だったことは分かります。でも同性愛の表現はありません。
アキレウスとパトロクロスの同性愛は二次創作
ところが「イリアス」が書かれて数百年たったころ。
紀元前6世紀の悲劇作家のアイスキュロスが「ミュルミドン」という作品でアキレウスとパトロクロスをはっきりと同性愛者と描きました。
アキレウスとパトロクロスが同性愛者なのは「二次創作」なのです。
「ミュルミドン」ではアキレウスがパトロクロスを愛する関係で描かれています。
そこでアレクサンドロスとヘファイスティオンが同性愛だという疑惑がでたのです。
ところが「ミュルミドン」の内容はおかしいという批判はアレクサンドロスよりも前の時代からありました。
当時のギリシアの同性愛では年下の男が年上の男を愛することはないからです。同性愛の相手になるのは成人していない美少年が普通です。
ところがパトロクロスはアキレウスよりも年上です。パトロクロスはアキレウスを見守り未熟なところがあれば導くように親から言われていました。臣下ですが親友であり先輩であり兄貴分なのです。
そしてヘファイスティオンはアレクサンドロスよりも年上です。ヘファイスティオンはアレクサンドロスのよき理解者として彼を支えました。年下の主を支えるという境遇が似てるのでファスティオンをパトロクロスになぞらえていたのでしょう。
2人の関係は現代で言う「ブロマンス」的な関係だったのではないでしょうか。
ブロマンスは親友というには親しすぎる関係なので傍目に見れば「ちょっとホモじゃない?」と思える部分もあったかもしれません。
現代日本のサブカルではブロマンスもBLと同じに語られることもあります。
でも、ブロマンスが同性愛者と違うのは男同士の恋愛には発展しない、肉体的関係はないことです。「魂の友」なのです。
アレクサンドロスの同性愛事情
同性愛者は父フィリッポス2世のほう
マケドニア時代のアレクサンドロスはわかりませんが。父フィリッポス2世は同性愛者でした。
フィリッポスは少年時代テーバイで人質生活をおくりました。この時代。売春で同性愛をすれば罪に問われますが、純粋な恋愛なら許されました。
テーバイには神聖部隊という150組(300人)の同性愛者で編成された部隊がありました。愛し合う者同士を戦場に送り込めば互いに必死に戦うだろう。というのです。それだけ同性愛者が多かったのでしょう。
フィリッポスはペロピダースの愛人だったという説もあります。真偽はともかく。少年愛が公然と認められている地域で少年時代を育ったフィリッポスが影響を受けないはずがありません。
マケドニアに戻ったフィッポスは王になりました。
フィリッポスはマケドニア軍を率いてテーバイの神聖部隊と戦って全滅させました。そのとき「彼らが不名誉なことをしたと考える者がいたら惨めな死に方をするだろう」と言って涙したといいます。すっかり同性愛にはまっていたようです。
フィリッポスは妻が多いことでも有名です。でも大半は政略結婚のため。男もOKなのです。
フィリッポス2世は元同性愛者に殺された?
王になったフィッポスはパウサニアスなどの美少年を愛したと言います。
パウサニアスといえばフィッポスを暗殺した人物。パウサニアスは2人います。どちらもフィリッポスの愛人でした。
暗殺したのは年上の方のパウサニアスです。寵愛を失った大パウサニアスは小パウサニアスを批判。小パウサニアスは王への忠誠心を証明するため戦場で王を守って戦死しました。
小パウサニアスの死に怒った将軍アルタルスは大パウサニアスを侮辱。それに激怒した大パウサニアスがフィリッポスに訴えたところ、無視されました。
そこで大パウサニアスがフィリッポスを暗殺したとか。
もしそれが本当ならフィリッポスは男同士の愛情のもつれが原因で死亡したことになります。
少なくともほぼ王位継承が決まってるアレクサンドロスが遠征を控えた父親を殺害する理由はあまりありません。パウサニアスの個人的な恨みの可能性は高そうです。
アレクサンドロスは抑制された少年時代だった?
そんな父親に育てられたのでアレクサンドロスも同性愛に興味はあったかもしれません。でも父とは仲が悪かったのでマケドニア時代は父を反面教師にして同性愛には興味を持たないようにしていたかもしれません。
フィリッポスは息子の教育のためアリストテレスを招きました。息子に仕える将来の側近たちの教育も任せました。ヘファイスティオンたち貴族の子弟も一緒に講義をうけました。
ソクラテスやプラトンは同性愛者でしたが、アリストテレスにはそのような話は伝わっていません。アリストテレスは同性愛を肯定も否定もしていません。
堅物なアリストテレスの教育を受けたせいでしょうか。マケドニア時代のアレクサンドロスが同性愛者だったという記録はありません。ヘファイスティオンとの関係もほとんど記録にありません。ヘファイスティオンの記録は遠征の途中から増えますが。遠征前は何人もいる親衛隊のひとり、くらいの扱いだったのかもしれません。
アレクサンドロスが変わったのはペルシア遠征に出てからです。
アレクサンドロスのお相手はペルシアの美少年
ダレイオス3世、というよりペルシアでは同性愛が盛んでした。ここでいう同性愛とは大人と少年との同性愛です。ペルシアにはハレムがあり、宦官もいました。
そのハレムもアレクサンドロスのものになりましたが。アレクサンドロスがハレムに通ったという記録はありません。
ペルシア王ダレイオス3世の死後。ダレイオス3世に仕えていた宦官(去勢された男性役人)のバゴアスがアレクサンドロスに献上されました。
バアゴスは若くて美しく踊りも上手でした。
アレクサンドロスはバアゴスを気に入って贔屓にしました。
あるときアレクサンドロスが歌と踊りの競技を見ていたとき。バアゴスが優勝しました。バアゴスは嬉しさのあまり会場を横切ってアレクサンドロスのもとに駆け寄りそばに座るとアレクサンドロスはバアゴスを抱きしめました。それを見たマケドニア人たちは拍手喝采してアレクサンドロスにキスしてやれと叫びました。アレクサンドロスはバアゴスを抱いて優しくキスしたといいます。
アテナイオスはバアゴスとの関係を「アレキサンドロスの少年愛は狂わしいほどだ」と書いています。
ペルシアにわたってからのアレキサンドロスは同性愛に目覚め、その相手も自分より若くて美しい少年たちだったようです。
同世代や年上のヘファイスティオンや側近たちとも友情というには強すぎる絆で結ばれていましたが。バアゴスに見せた少年愛とはちょっと違うようです。
バアゴスとアレクサンドロスの関係はアレクサンドロスとヘファイスティオンとの関係には影響は与えなかったようです。
アレクサンドロスはダレイオスの娘スタテイラ2世(バルシネ)とドリュペディスを捕虜にして後にスタテイラ2世を妃にしますが。彼女たちを丁重に扱ってはいてもあまり興味を示しませんでした。名門の王女も政略結婚の駒くらいにしか思っていません。バクトリア貴族の娘ロクサネは気に入って結婚しますが。アレクサンドロスはロクサネやバルシネをスーサに残したまま遠征に出かけます。
この時代。女性を遠征に同行させる習慣はありました。遠征に出ると何年も戻ってこれないのです。アレクサンドロスの行軍は、軍隊の遠征というより民族移動です。
現実にアレクサンドロスの遠征軍に参加した将兵たちはギリシアを出たときは独身だった人も途中で結婚して女性や生まれた子どもたちも同行させました。アレクサンドロスがその気ならペルシアで気に入った女性を同行させることもできました。でもインド遠征にはバアゴスを連れていきました。
アレクサンドロスは王女やハレムの女性より、美少年の方が好みだったのかもしれません。
もっとも、ダレイオスの有様を見てますし。結果的には無理な遠征で犠牲になって命を落とす人もいました(アレクサンドロス軍のインド遠征で帰ってきたのは出発時の1/4といいます)。遠征に危険が伴うのは分かったでしょうし、王女を連れていくわけにはいかない。という事情もあったのかもしれません。
友愛で結ばれていたはずの側近たちとの不和
ペルシアを征服したアレクサンドロスはすっかりペルシアの習慣に染まってしまいました。人々の前に出るときにはペルシアの衣装を身に着け、人々にプロスキュネシス(拝跪の礼)を強要しました。王の足元に膝まずいて挨拶をするのです。
友愛を重んじるギリシア人の将兵とっては拝跪の礼は屈辱でした。ギリシア人が跪くのは神に祈るときだけです。相手が王であっても人に跪いたりはしません。
アレクサンドロスは豪華で威厳のあるペルシア王の振る舞いが気に入ったのかもしれません。
ギリシア軍より人口の多いペルシア帝国の人々をまとめるのです。現地の習慣に馴染んだほうが統治はやりやすいです。
「勝ったのだから自分たちの習慣を強制して何が悪い」と考えるギリシア人から見ればアレクサンドロスのやりかたは裏切りに思えたかもしれません。
ヘファイスティオンとアレクサンドロスの関係は?
やがてアレクサンドロスの仲間の中からアレクサンドロスを暗殺しようとするものも現われます。アレクサンドロスは何人かの友に裏切られました。
でも最後まで裏切らない友がいました。それがヘファイスティオンです。
アレクサンドロスの方針に賛成しただけでなく、アレクサンドロスと他のギリシア人の間に入って現地の習慣をなじませるように努力しました。アレクサンドロスの遠征作戦では無理難題にも応えています。
ヘファイスティオンはアレクサンドロスの一番の理解者なのです。だからこそアレクサンドロスはヘファイスティオンが死亡したときに非常に嘆き悲しみ。友のために豪華な葬式を行い、神の戦士として祀り神殿を建てました。
確かにアレクサンドロスの悲しみ方は異常です。
でも寵愛の対象なら替わりは用意できますが、最大の理解者は代わりがいません。その絶望感が常軌を逸した弔いに現われていたのかもしれません。
アレクサンドロスはヘファイスティオンのために神殿を建てましたが。
フィリッポスはパウサニアスのために神殿は建てていません。
おそらくアレクサンドロスはヘファイスティオンの間には同性愛とは次元の違う信頼関係があったのかもしれません。
やはり「ゲイ」ではなく「ブロマンス」だったのではないでしょうか。
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