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シャーヒン ギライ は一生を反乱活動に費やしたクリミアハン国の王子

クリミアハン国国旗

シャーヒン・ギライは16世紀末から17世紀のクリミア・ハン国の王子。

シャーヒン・ギライが行きていた時代のクリミア・ハン国は王位を巡って争いが続き。シャーヒン・ギライが幼いときは国外で暮らしました。

その後、クリミアハン国に戻りましたが兄とともに反乱を計画。国外に逃亡しました。その後、兄メフメト3世ギライがハンになったり、シャーヒン・ギライも重臣になりましたが。

国を追われてしまいます。その後もコサックなどと協力してハンの地位を狙いましたが。最終的にオスマン帝国に亡命。ロードス島で最期を迎えました。

シャーヒン・ギライとはどのような人物だったのか紹介します。

 

目次

シャーヒン・ギライの史実

名前:シャーヒン・ギライ(Şahin Giray)
国:クリミアハン国
地位:王子
民族:クリミアタタール人
生年:1585年頃
没年:1641年
父:サーデト2世・ギライ
母:エス・トゥルガン
兄:メフメト3世・ギライ

妻:不明
子:不明

 

シャーヒン・ギライの時代のクリミアハン国とその周辺

クリミアハン国

おいたち

父はクリミアハン国のハン(国王)

1585年頃誕生。父はクリミアハン国のハン(国王)サーデト2世・ギライ。
母はエス・トゥルガン。

当時、クリミアハン国は王位をめぐって争いが続き。父サーデト2世・ギライと家族はイスリヤム2世に国を追われてしまいます。父サーデト2世は1587年に死亡しました。

1594年頃。ガージー2世ギライの時代。10歳のシャーヒン・ギライと母エス・トゥルガン、デヴレット、メフメトたち兄弟はクリミアに戻りました。

1601年。兄デヴレットはガージー2世に反乱を企て処刑されました。シャーヒンと兄のメフメトはオスマン帝国に逃げました。

1608年。ガージー2世ギライの死後。セラーメト1世・ギライが即位。シャーヒンと兄のメフメトはクリミアに戻りました。シャーヒン兄弟は反乱計画をたてましたが、ばれてしまいセラーメト1世に命を狙われます。そこでコーカサスへ逃亡して兵を集めました。

やがてシャーヒンたちが国に戻る途中でセラーメト1世が死亡。ジャニベック・ギライがハン(国王)になっていました。

兄弟はクリミアハン国の首都・バフチサライに向かいました。ジャニベック・ギライは逃亡。

兄メフメト1世がハン(国王)を名乗り、シャーヒンはカルガ(宰相)を名乗りました。ただしこのときのメフメト1世はクリミアハン国の正統な王とは認められていません。

ジャニベック・ギライはオスマン帝国に助けを求めました。オスマン帝国のスルタン(皇帝)アフメト1世は軍を派遣。

1610年。メフメト1世ギライとシャーヒン・ギライは逃亡。ジャニベック・ギライがハンになりました。

オスマン軍がクリミアを去ると兄弟はクリミアに戻り戦いましたが敗北。ブジャク(ウクライナ・ベッサラビア地方)に逃げました。

シャーヒンはカーン・テミルの指揮するブジャク大群(ブジャクを拠点にする武装グループ)とともに行動。ポーランドを襲撃しました。メフメトはオスマン帝国に行って支援を求めました。

ジャニベック・ギライは軍を派遣。2度シャーヒンの軍を退けました。

1614年。ジャニベック・ギライはオスマン軍の援助をうけて攻撃。シャーヒンはコーカサスに逃げ、さらにサファビー朝イランに亡命しました。当時、サファビー朝とオスマン帝国は戦争中でした。

最初、サファビー朝はシャーヒンをスパイだと思っていましたが徐々に信頼を得ました。

兄メフメト3世・ギライがクリミアのハンになる

1623年。そうしている間に、クリミアではジャニベック・ギライが失脚。オスマン帝国の援助を受けた兄メフメト3世ギライがハンになりました。

サファビー朝はシャーヒンに反オスマン活動をさせるため戻しました。シャーヒンはコーカサスを経由。1624年。クリミアに戻りました。

オスマン帝国と対立

このころメフメト3世ギライはオスマン帝国と対立。戻ってきた弟シャーヒンをカルガ(宰相)にしました。

シャーヒンはザポリージャア・コサックと同盟を結び(1624年12月24日)、1624年にはオスマン帝国に3回の遠征を行い、イスタンブール周辺の町々を略奪しました。

ブジャク大群のカーン・テミルを敵にまわす

メフメト3世ギライは略奪を行なっていたブジャク大群にポーランドへの襲撃を辞めるように要請。しかしブジャク大群のカーン・テミルは拒否。

シャーヒンはメフメト3世ギライの命令をうけて軍を率いてカーン・テミルを支配下に置くために異動しました。しかしカーン・テミルの配下の者たちは拒否。カーン・テミルは軍を率いて移動。

カーン・テミルたちブジャク大群は敵になりました。

1628年。シャーヒンはブジャク大群を討つために遠征。カーン・テミルを追いかけましたが、逆に包囲されてしまいます。僅かな兵たちとともになんとか生き延びて首都・バフチサライに戻りました。ところがクリミアがブジャク大群に攻められました。兄弟はバフチサライを離れ3km東にあるチュフトケールの要塞に逃げました。

カーン・テミルはバフチサライを占領したものの。ミハイロドロシェンコのザボリージャ・コサックがクリミアに攻め込みバフチサライを占領。カーン・テミルは逃亡してカッファのオスマン軍に助けを求めました。

シャーヒンはメフメト3世ギライは3週間かけて兵をあつめ軍を立て直すとカーンテミルのいるカッファを包囲。ところがオスマン帝国の援軍がジャニベック・ギライとともに到着。

シャーヒンはメフメト3世ギライは逃げました。

ジャニベック・ギライはオスマン帝国の助けを借りてクリミアハン国のハンになりました。

ザボリージャ・コサックと同盟

このときメフメト3世ギライは山に逃げ。シャーヒンはポーランドにコサックを派遣するように要請しました。

ポーランドはザボリージャ・コサックを派遣。しかしポーランドはオスマン帝国と対立したくなかったので、コサックが勝手に動いていることにしました。シャーヒンはザボリージャ・コサックとともに行動しました。このころ山を抜けてきたメフメト1世ギライも合流しました。

1度目のバフチサライ攻撃

1628年11月。シャーヒンとメフメト3世ギライはジャニベック・ギライのいるバフチサライの攻撃を計画。クリミア軍8千とザボリージャコサック6千がクリミアのバフチサライを攻撃をしかけました。ところがコサックは冬場の遠征には消極的であまりやる気がありません。しかもコサックは牛の大群がいるのを見つけると牛を略奪してそのまま帰ってしまいました。

シャーヒンたちはコサックを止めることができませんでした。

シャーヒンたちもジャニベック・ギライに味方するカーンテミルの追撃を振り切って撤退しました。こうして攻撃は失敗します。

2度目のバフチサライ攻撃

1629年。春が来てドニエプル川の氷が溶けたころクリミア襲撃を計画。コサックたちも略奪品を期待して集まってきました。

クリミアを襲撃しましたが敗退。現地軍との戦いで兄メフメト1世ギライが戦死。シャーヒン・ギライは生き残った仲間とともにコーカサスに逃亡しました。

サファビー朝に亡命

しかしコーカサスの領主たちの援助が得られず、再びサファビー朝イランに亡命しました。サファビー朝のシャー(国王)はシャーヒン・ギライを歓迎しました。

シャーヒン・ギライはクリミアや北コーカサスの仲間と連絡を取り合いました。

1632年夏。クリミアのジャニベック・ギライはそのことを知り、シャーヒン・ギライの内通者を殺害しました。

さらに、シャーヒン・ギライはイランの総督と問題を起こして総督を殺害してしまいます。シャーヒン・ギライは宝を持って逃亡。コーカサスでは誰も味方になってくれなかったので、クミキアにいる義父を頼りました。

オスマン帝国に亡命

シャーヒン・ギライはオスマン帝国との接触を試みました。アゾフからカファを経てイスタンブールに向かいました。

1633年。シャーヒン・ギライはイスタンブールに到着。オスマン帝国のムラト4世は彼を歓迎しました。

ムラト4世はシャーヒン・ギライを利用できると思って匿うことにしました。シャーヒン・ギライはロードス島に移されしばらくそこで暮らしました。

1635年。クリミアハン国で争いが起こりジャニベック・ギライが追放され。ロードス島に追放されました。

かつての敵同士が同じ島で暮らすことになったのですが、二人の生活の様子はよくわかっていません。

1636年。ジャニベック・ギライが70歳で亡くなると、彼の財産はシャーヒン・ギライに与えられました。

シャーヒン・ギライはクリミアにいる友人と連絡をとるようになりました。ところがクリミアで新しくハンになったバハディール・ギライがそのことをムラト4世に報告。

ムラト4世はシャーヒン・ギライが不穏な動きをしていると考え、処刑することにしました。

またムラト4世は占い師から「鳥の名前を持つ者が災いを引き起こす」と告げられたともいいます。(シャーヒンは「鷹」を意味します)

1641年。エジプト総督として赴任途中のナッカシュ・ムスタファ・パシャがロードス島に立ち寄りました。ムスタファ・パシャはシャーヒン・ギライを食事に招待しました。

シャーヒン・ギライは疑惑を晴らすため、面会に行きましたがその場で絞殺されてしまいました。

シャーヒン・ギライはロードス島に埋葬されました。

ドラマ

新オスマン帝国外伝キョセム 2015年、トルコ 演:エルカン・コルチャック・ケステンディル。

 

 

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