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オスマン帝国のハレムのしくみと用語を紹介

オスマン帝国国旗

トルコのドラマ「オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム」でドラマの舞台になるには王宮が多いですね。とくに女性のいるハレムのシーンが多いです。

日本だと「大奥」ですね。大奥的な感覚で見ることができるので日本人の視聴者にも馴染みやすいのかもしれませんね。

でももちろん日本とトルコでは文化が違うのでしくみや言葉が違います。

オスマン帝国でも時代によって使われている用語が違うことがあります。主にスレイマン1世時代の言葉を中心に紹介します。

目次

オスマン帝国のハレム

ハレムにいるのは皇帝一家の女性と子供たち。皇帝の妃や母もちろん、側女もいます。

イスラム教では養うだけの経済力があれば4人まで正妻をもつことができます。それ以外にも側女をもつことも許されています。ヨーロッパの王宮にはないハレムが公式に存在するのですね。

キリスト教では一夫一婦制。ヨーロッパの王宮ではハレムは認められません。しかし子孫を残すという建前があるので王に愛人がいることは暗黙の了解でした。

ハレムで暮らす皇族女性

王族を意味する言葉はスルタン。ドラマでも王の母や妃にスルタンあるいはスルターナと呼んでいる場面があります。

母后(ヴァーリデ・スルタン:valde sultan)

皇帝の母。
ヴァリデは母親の意味。劇中のトルコ語のセリフではスレイマン1世やハティジェはハフサのことを「ヴァリデ」と呼んでいます。

自分専用の部屋を持ち、収入源も持ってます。

意外なようですが最初にヴァリデスルタンと呼ばれるようになったのはスレイマン1世の生母ハフサ。

それまでは皇帝の母はヴァリデ・ハトゥンと呼ばれていました。

「皇帝の産みの親」というだけで身分はあまり高くありませんでした。「スルタン」が付くことで王族としての地位が保証されました。スルタンが付くのは皇帝一家のみ。「スルタン」の使用は皇帝一家の権威を高める狙いがありました。

生母だけでなく、ハレムにいて皇帝の母の役目を担当する人もヴァリデ・スルタンと呼ばれます。

皇女(ハニム・スルタン:hanım sultan)

皇帝の娘。

日本や欧米で「スルタン」と言えば皇帝のことですが。オスマン帝国の記録でスルタンといえば皇女や皇族女性のことです。「スルタン」が「権威」という意味だからです(皇帝はパーディシャー)。

オスマン帝国では母親の身分は関係ありません。父の身分で子供の身分も決まります。例え母親が奴隷でも父が皇帝なら皇子・皇女です。

結婚前はハレムで暮らし、結婚後はイスタンブルやボスポラス海峡に面した街に屋敷を与えられそこで暮らします。夫が地方に赴任したときも皇女は首都の屋敷で暮らすことが多かったようです(例外もあります)。

皇帝の妃たち

皇后(ハセキ・スルタン:Haseki sultan

皇帝の正式な妻。「主な妻」「皇帝のお気に入り」といった意味。
スレイマンよりも後の時代には「皇子の母」という意味に変わりました。

ハレム内でヴァリデスルタンに次ぐ2番めの地位にある女性です。

ドラマのシーズン1ではハセキスルタンの称号を持つ人はいません。オスマン史上最初にハセキ・スルタンの称号を得たのはヒュレムです。

意外なようですが皇帝の正式な妻(法的な結婚相手)はいないことが多かったのです。というのも外国と同盟を結ぶため、王族の女性を妻に迎える可能性はあります。そこで政略結婚のために皇帝の妻の地位は開けていました。

でも第7代皇帝メフメト1世以降はオスマン帝国の周辺にあったのは敵国か弱い国。政略結婚してまで同盟しなければいけない国はありません。そこで皇帝の正妻の地位は空いたままになってました。

しかしその慣習を破って側女から正妻(法的な結婚相手)になったのがヒュッレムです。スレイマン1世からどれほど寵愛を受けていたかがわかります。

スレイマンの時代だとヒュッレムとマヒデブランがハセキ。二人とも皇子の母です。

16世紀より前には皇帝の側室の敬称はハトゥンでした。16世紀(スレイマンの時代)からスルタンの敬称が使われます。皇帝の母、娘、主な妃はスルタンと呼ばれました。

ドラマの字幕では「皇帝妃」になっていることがあります。でも正式な妻ではありません。「側室」に近いです。

スレイマンの時代以降は皇帝一家の家族として認められ「スルタン」あるいは女性形の「スルターナ」の敬称をつけて呼ばれました。

他の側女たちは本当に下僕なので「スルタン」と呼ばれるかどうかで大きく立場が違います。皇帝妃は他の側女達に対しては強い立場にあります。

 

夫人、皇帝妃(カドゥン:Kadin)

オスマン帝国も17世紀以降になると側室の呼び名はKadın(カドゥン)という言葉に代わります。hatunと同じ意味ですがローマ風の発音になりました。

夫人の順番も決まっていました。

バシュカドゥン(Başkadın) 第一夫人。
イキンジカドゥン(İkinci Kadın) 第2夫人。
ウチュンジュカドゥン(Üçüncü Kadın) 第3夫人。
ドージュンジュカドゥン(Dördüncü Kadın) 第4夫人。

第1夫人はバシュカドゥン。カドゥンの中でも一番地位の高い人です。

側室(イクバル:İkbal)

側女の中で皇帝のお手つきになった人。個室を与えられます。イクバルの意味は「幸運な人」ドラマではアイシェがイクバルです。ドラマの字幕では側女のままでしたが、立場的には側室に近いです。シーズン1の14話で王子を出産するまでのアレクサンドラ(ヒュレム)も身分はイクバルです。

側女(ジャーリヤ:jariya)

ハレムに集められた女性。

捕虜や奴隷市場で買われた者、献上さた女性は集められ、宦官の監督下で共同生活をしながらトルコの言葉、歌、踊り、礼儀作法、裁縫、アラビア語を習います。その後、宮殿のハレムに送られ侍女になりました。侍女といっても日本の大奥とは違い、ハレムでは奴隷あつかいです。

皇太子時代のスレイマンのハレムには17人の側女がいたといいます。スレイマンの寵愛を受けられるのは一部です。

アー(チーフ)

男性のリーダーを呼ぶ時の称号。部門の長や尊重も「アー」と呼ばれます。 

ドラマで登場するのはスンビュル。
スンビュル・アーと呼ばれます。
字幕ではスンビュルの肩書は「宦官長」。

12代ムラト3世の時代にハレムの宦官長は黒人宦官になります。スレイマン1世の時代は白人宦官が多かった時代です。

カルファ(監督者)

女性のつく役職。
側女や見習いの監督者としての役目があります。

ドラマではニギャール、シーズン3のファーリエがカルファと呼ばれています。

カルファの上にウスタという女官がいます。歴史上はウスタの方が女官長にふさわしいのですが。字幕ではニギャールの役職は「女官長」になってます。

女性の敬称ハトゥンについて

オスマン帝国では女性に対して「ハトゥン」の敬称が付けられます。

英語のミスやミセスに近い言葉です。

テュルク語(古いトルコ語)やソグド語で高貴な女性・貴婦人を意味する”Khatun(カートゥン)”が変形した言葉。

トルコとモンゴルは祖先がテュルク系遊牧民族なので同じ起源の言葉があります。モンゴル系民族は王妃のことをカトンといいます。

Khatun(カートゥン)の男性形がカン(あるいはハン)(Khan)。k(カ行)とh(ハ行)は発音の区別がしにくい民族もいるのでkとhが入れ替わることがあります。

オスマン帝国はテュルク系民族が祖先ですが中東文化の影響を受けてイスラム化しました。王族女性の継承は「スルタン」が使われ、ハトゥンはスルタンより地位の低い女性に使われるようになりました。

 

厳しいハレム事情

皇帝が変わるとハレムの女性も入れ替わります。

つまり皇帝が死亡すると、その皇帝に仕えていた皇帝妃、側室、側女はハレムを出ていくのです。残ることが許されるのは新しい皇帝の母親のみです。

母后になれなかった皇帝妃や側女はトプカプ宮殿から出され旧宮殿(エスキサライ)に移されます。その名も「嘆きの家」。旧宮殿に移った女性たちは年金をもらって余生を過ごします。一部の女性は臣下の妻になることもあったようです。

また皇帝になれなかった皇子は、新皇帝が即位すると処刑されました。ムラト3世(スレイマン1世の孫)よりあとの時代は処刑ではなく幽閉に変わりましたが、皇帝になれなかった皇子の運命は過酷でした。

ハレムの女性の運命は、母后になれるかどうかで全く違うのです。とくに息子のいる皇帝妃は息子の命まで関わってくるので大きな問題でした。ハレムの女性たちの争いが激しくなったのもこのような厳しいハレム事情があったからです。

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