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ネルギスシャー・スルタン ムスタファ最愛の娘

オスマン帝国国旗

ネルギスシャー・スルタン(Sultan Nergissah)はオスマン帝国の皇女。

ムスタファ皇子の娘です。

ムスタファが最もかわいがった娘だといわれます。

ネルギスシャー・スルタンについて紹介します。

目次

ネルギシャー・スルタンの史実

名前:ネルギスシャー(Nergisşah)
地位:オスマン帝国
生年:1536年
没年:1592年あるいは1562年。
父:ムスタファ(Mustafa)
母:アイシェ(Ayse)

夫:チェナビ・アフメト・パシャ
子供:不明

祖父はオスマン帝国第10代皇帝スレイマン1世。

父はスレイマン1世の息子ムスタファ皇子。皇位後継者の有力候補といわれ、兵士や民衆から人気がありました。

母はムスタファの側女アイシェ・ハトゥン

Nergis(ネルギス)はトルコ語で「水仙」の意味。şah(シャー)はペルシャ語で「王」の意味。オスマン帝国では「高貴な人」の意味くらいで使っていたようです。Nergisşahは「水仙の女王」といった感じでしょうか。

1536年。マニサで生まれました。
父はムスタファはマニサの知事でした。

ムスタファには何人か娘がいました。ネルギスシャーはムスタファの最初の娘だったこともあり、特に可愛がられました。

ネルギスシャー・スルタンは母・アイシェ、祖母マヒデヴランとともに暮らしました。

父ムスタファがアマスヤの知事になったときは家族とともに移動しました。

1449年。オスマン帝国とイランの戦争が終わりました。オスマン帝国軍が撤退すると、東の国境付近にイラン軍が何度か侵入、略奪を繰り返しました。

ムスタファはイスブールに報告。救援を要請しました。大宰相リュステムは救援要請を断りました。ムスタファは何度か使者を送りましたが、やがてリュステム・パシャはアフメト・パシャをムスタファのもとに送ってきました。アフメト・パシャはリュステムのスパイでムスタファの行動を報告することになっていました。

ところがアフメト・パシャはムスタファに寝返ってしまいました。

ムスタファは1551年頃。娘のネルギスシャーとアフメト・パシャを結婚させてさらにアフメト・パシャとの関係を強くすることにした。という言い伝えもあります。でもアフメト・パシャとネルギスシャーが結婚したのはムスタファの死後。ムスタファの生前にネルギスシャーとアフメト・パシャが結婚したというのはただの伝説とされます。

1553年。父・ムスタファが謀反の疑いをかけられ処刑されました。処刑の命令を出したのは祖父スレイマン1世でした。

このときネルギスシャーは17歳。

ネルギスシャーはマヒデヴランたちとともにムスタファの遺体のあるブルサに移されました。

ムスタファには子供が何人かいました。ネルギスシャーの弟メフメトは処刑されました。

その後、イスタンブールにあるエスキサライ(旧宮殿)に移されました。

そこで祖父スレイマン1世の命令でアフメト・パシャと結婚します。アフメトパシャはボスニア出身。デヴシルメで徴用されて役人になりました。すぐれた詩人で歴史家でもあったとされます。アナトリアで州知事(ベイレル・ベイ)を20年務めたこともあります。ネルギスシャーとアフメト・パシャの間には子供がいたといわれますが、よくわかっていません。

その後はアフメト・パシャの赴任先アンカラで暮らしたといいます。

1562年。夫のアフメトパシャが死亡。

その後、ネルギスシャー・スルタンがどうなったのかはわかりません。ネルギスシャー・スルタンの墓がブルサにあるので、父の墓があるブルサに移動、祖母マヒデヴランとともに暮らしたのかもしれません。

1592年か1562年に死亡したといわれます。

死後、父ムスタファと同じブルサの墓地に埋葬されました。

 

ドラマでのネルギスシャー・スルタン

ドラマ「オスマン帝国外伝」ではシーズン3と4で登場。

シーズン3では生まれたばかり。
シーズン4では成長した姿で登場します。

ドラマではムスタファの一人娘です。母アイシェから歌を教わりました。

父・ムスタファの処刑後。家族とともにブルサに移動。

その後は祖父スレイマンの命令でセナビ・アフメト・パシャと結婚しました。

祖母のマヒデヴランのもとを去りたくなかったので、結婚はしたくないようでした。でも皇帝の命令なので仕方ありません。

セナビ・アフメト・パシャと共に去ってその後はドラマに登場しません。

 

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