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ナーゼニン・ハトゥン(ヴァレリア)の紹介とネタバレ

オスマン帝国外伝

ナーゼニン・ハトゥンはドラマ「オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム」の登場人物。

元の名前はヴァレリアといいます。

ベネチアの貴族の娘チェチーリア・バッフォの侍女でした。

劇中でナーゼニンはスレイマンの側女になり娘のラジエを出産します。

チェチーリアのモデルになったのは実在したセリム2世の妃・ヌールバーヌーです。その侍女ならナーゼニンは実在するのでしょうか?

実はナーゼニンは架空の存在です。

娘のラジエの名前は実在の皇女の名前がつけられています。かつてマヒデヴランが生んだ娘の名前です。

ナーゼニンとラジエのネタバレを紹介します。

 

目次

ナーゼニン・ハトゥンのネタバレ

名前:ナーゼニン・ハトゥン(Nazenin Hatun)
本名:ヴァレリア(Valeria)
出身地:ベネチア共和国
生年:1525年頃
没年:1546~1548年
地位:スレイマンの側女
子供:ラジエ・スルタン

ナーゼニン・ハトゥンの元の名前はヴァレリア。

ベネチア生まれ。

ベネチアの貴族チェチリア・バッフォに仕える侍女になりました。

ところがチェチリアといっしょに海賊にさらわれオスマン帝国に奴隷として売られてきました。

チェチーリアとヴァレリアはトプカプ宮殿のハレムに連れて行かれました。彼女たちが連れてこられたころ、トプカプ宮殿では皇子たちが集まっていて皇子の赴任先につれていく側女を選ぶことになってました。

それまでヴァレリアはチェチーリアの関係は侍女と貴族の娘でした。ところがハレムでは対等の立場になりました。ヴァレリアはチェチリアが持っていた宝石を盗んで宦官に賄賂として贈り、セリム皇子のハレムの一員に選ばれました。

ところがチェチリアに邪魔されてしまいます。セリムのもとに行ったのはチェチーリアでした。ヴァレリアはトプカプ宮殿のスレイマンのハレムに残りました。

ヒュッレムに選ばれてスレイマンの夜伽の相手をすることになります。しかしヒュッレムが認めたのは1回だけ。

そこに目をつけたのがファトマ皇女でした。ヴァレリアがスレイマンの寝所に行き、息子を産んでくれるのを望んでいました。

ヴァレリアはファトマ皇女の手下となり、ナーゼニンという名前を与えられイスラム教徒に改修しました。そしてファトマ皇女の手引でナーゼニンはスレイマンの夜伽の相手をします。

ナーゼニンは妊娠。それを知ったヒュッレムはナーゼニンを殺そうとしましたが、子供の誕生を楽しみにするスレイマンを見て迷いがでてしまいます。

やがてナーゼニンはは娘を出産。ラジエと名付けられました。

皇子の誕生を期待していたファトマ皇女は落胆します。でもスレイマンは大喜び。

「ラジエ」の名前はかつてスレイマンとマヒデヴランの間に生まれた子供の名前でした。ラジアは幼いころ他界していましたが、スレイマンはその名前を新しい娘に付けたのです。

皇帝の娘の母になったナーゼニンは、美しいドレスや王冠を身に着け、ハレムでは皆からかしずかれる存在になりました。最初は控えめな侍女だったのが今や妃のように振る舞います。

ナーゼニンはスレイマンのお気に入りの妃になってしまいました。ヒュッレムはナーゼニンに危機感を感じます。

やがてスレイマンは息子のセリムの子供に会うため、ナーゼニン・ハトゥンを連れてマニサに行きました。

マニサにはヌールバーヌがいました。かつてのヴァレリア=ナーゼニンの主人で、今ではヒュッレムの手下になり、セリム皇子の寵愛を受ける側女です。

ヒュッレムはヌールバーヌに、ナーゼニンを殺すように命令しました。ヌールバーヌはヒュッレムの命令を実行。ナーゼニンをバルコニーから突き落として殺害してしまいました。

ドラマ情報
オスマン帝国外伝・シーズン4
出演者:アルメダ・アバジ(Almeda Abazi)

ラジエのその後

ラジエはその後登場しませんが、幼くして病気で亡くなったとされます。

ラジエの名前はマヒデヴランがかつて生んだ娘の名前です。彼女は幼い頃に亡くなりました。

歴史上のマヒデヴランもラジエを生みました。

でも史実のラジエ皇女は大人になるまで成長しました。母に似て美しかったと言います。ハレムで力をもっていたのはヒュッレムとミフリマーフだったのでラジエは目立たない存在でした。でも祖母のハフサからは可愛がられたと言います。

史実のラジエについてはこちらを参照してください。

・ラジエ・スルタン|マヒデブランが生んだ幻の皇女

 

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