キョセム スルタンはオスマン帝国で最も権力を持った母后と言われる女性です。
キョセム スルタンはオスマン帝国 第14代皇帝 アフメト1世の妃。
トルコドラマ「新オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム」のヒロインですね。
アフメト1世とキョセムの間には多くの子供がいます。もともとオスマン帝国では妃には複数の息子を産ませないのが習慣でしたが。ヒュッレムの時代にその慣習が壊れ。以後、何人もの子供を生んだ妃が登場しました。
キョセムはとくに子供の多い妃です。
この記事ではキョセムの子どもたちを紹介します。
もちろん父親はすべてアフメト1世です。
キョセムの子どもたち
メフメト皇子
(Şehzade Mehmed)
生年:1605年
没年:1621年
アフメト1世の次男。
キョセムにとっては長男。
兄のオスマン2世即位後に処刑されました。
アイシェ皇女
(Ayşe Sultan)
生年:1605年
没年:1657年
享年:52。
キョセムの長女。とくに政略結婚の多かった皇女。
1612年大宰相ナスフ・パシャ。
1620年カラカシュ・メフメト・パシャ
1626年ハフズ・アフメト・パシャ
1635年ムルタザ・パシャ
1639年アフメト・パシャ
1645年ヴォイヌク・アフメト・パシャ
1655年イブシル・ムスタファ・パシャ、
1656年エルメニ・スレイマン・パシャと結婚。
最初の結婚は7歳のとき。死の前年、51歳のとき最後の夫と結婚。生涯の間に7回結婚。結婚と夫の死別を繰り返しました。
夫の2人が処刑、1人が暗殺され、2人が戦死しました。
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
ファトマ皇女
(Fatma Sultan)
生年:1606年
没年:1670年
享年:64。
キョセムの次女。姉アイシェとともに政略結婚の多かった皇女。
夫:
チャタルカル・ハサン・パシャ
カラ・ムスタファ・パシャ。エジプト総督
サラック・ハサン
カンポラザード・ムスタファ・パシャ
ホカ・ユスフ・パシャ
マクスド・パシャ
メレク・アフメト・パシャ。大宰相
カンブル・ムスタファ・パシャ
ケズベキ・ユスフ・パシャ
生涯の間に9回結婚。
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
ハンザデ皇女
(Hanzade Sultan)
生年:1607年
没年:1650年
享年:43。
キョセムの三女。
夫:
大宰相ラディクリ・ベイラム・パシャ
ナッカシュ・ムスタファ・パシャ
アヤソフィア・ジャーミィ(モスク)のイブラヒム1世廟に葬られました。
ゲヴハルン皇女
(Gevherhan Sultan)
生年:1608年。
没年:1650年
享年:42(1608年生まれの場合)。
1605年誕生説もあります。その場合、ゲヴハルンはキョセムの娘ではなくオスマン2世の妹、マフフィルーゼの娘とされます。
夫:
オクズ・メフメト・パシャ。大宰相
トパル・レセプ・パシャ。大宰相
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
皇帝ムラト4世
(Sultan IV. Murad)
生年:1612年。
没年:1640年
享年:28。
アフメト世の三男。
キョセムにとっては次男。
叔父のムスタファ1世の廃以後に11歳で即位。オスマン帝国の第17代皇帝になりました。若い頃は母キョセムが摂政をしていましたが。イェニチェリが起こした反乱を機会に親政を開始。乱れた国内を立て直すため、イスラム教カドゥザーデ派を利用。社会の規律を強めました。厳しい規則が多く批判を浴びましたがイスラム教徒からは歓迎され、国内の立て直しに成功。
国内で権力を高めたムラト4世はイラン遠征を実施。首都攻略には失敗、和睦を結びました。このとき決めた国境が後のトルコとイランの国境線になっています。
在位中にスレイマン、バヤジト、カシムの弟を処刑しました。処刑の理由は明らかにはされていません。彼らを王位につけようという動きがあったから。あるいはその可能性を恐れていたからといわれます。
その後、ヴェネツィア遠征を計画しましたが。熱病にかかり死亡。
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
スレイマン皇子
(Şehzade Süleyman)
生年:1613年。
没年:1635年
享年:22。
兄ムラト4世によって処刑されました。
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
カスム皇子
(Şehzade Kasım)
生年:1614年。
没年:1638年
享年:24。
スルタン・アフメト・ジャーミィ(モスク)のアフメト1世廟に葬られました。
兄、スレイマン達がムラト4世に処刑されると。
ムラト4世には後継者がいなかったので王位継承者になりました。しかし兄ムラト4世に謀反の疑いをかけられ処刑されました。
アヤソフィア・ジャーミィ(モスク)のムラト3世廟に葬られました。
皇帝イブラヒム
(Sultan İbrahim)
生年:1615年。
没年:1648年
享年:33。
オスマン帝国第18代皇帝。
アフメト1世とキョセムの最後の息子。
イブラヒムが2歳のときに父アフメト1世が死去。
叔父ムスタファ1世、兄オスマン2世、ムラト4世の治世中は旧宮殿に幽閉。
ムラト4世は子沢山でしたが成人した息子はいませんでした。そのため末弟のイブラヒムが次の皇帝になりました。しかしそのときにはイブラヒムの精神は病んでいて様々な奇行が伝えられています。
イェニチェリの反乱に母キョセムも賛同、皇帝イブラヒムは廃位、処刑されてしまいます。
息子のメフメト4世が即位しました。
アヤソフィア・ジャーミィ(モスク)のムスタファ1世廟に葬られました。
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