トルコドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~シーズン4」では後宮宦官長のスンビュルが引退した後、街でコーヒーを提供する喫茶店を開いています。
この時代のオスマン帝国の人々はコーヒーを知らない人がほとんどで、みんなが苦い苦いと言ってなかなか飲もうとしません。それでも甘いラクムと一緒に飲めばイケる。というので必死に進めている様子が描かれています。
スンビュルは架空の人物ですが。スレイマン1世の時代にオスマン帝国にコーヒーが伝わったのは事実のようです。
そしてコーヒーはオスマン帝国からヨーロッパに広まりました。今ではヨーロッパの文化のようになってるコーヒーですが。もとはアフリカ発症でイスラム社会からヨーロッパにもたらされたものでした。
知られざるコーヒーとオスマン帝国の関係について紹介します。
コーヒーがオスマン帝国に来るまで
人間がコーヒーを飲むようになったのは古い時代からあるみたいです。古すぎて起源ははっきりしていません。野生種のコーヒーの木の実を薬用として使ったのが最初ではないかと言われます。
エチオピアで始まったという説が有名です。
コーヒーの原産地のエチオピアの高原や、野生のコーヒーが育つ地域では、地元の人々がこのコーヒーの実をすりつぶして小麦粉に変えてパンのようなものを作っていました。また、コーヒーの実を茹でた後、飲み物に混ぜて薬として使用されました。現地ではコーヒーは「魔法の果物」と呼ばれていました。
やがてコーヒーは、アラブの商人の手によってアラビア半島に伝わりました。
14世紀になると、それまでとは違う飲み方が発明されました。焙煎したコーヒー豆を粉砕してから茹でて飲むようになりました。トルココーヒーの飲み方に近いです。
最初にコーヒーを飲み始めたのはイエメンのスーフィー派です。
1470年代にはアデンで、 1510年にカイロで、そして1511年にはメッカで飲まれるようになりました。
ただ、イスラム社会ではコーヒーを飲むのはイスラムの教えに反するのではないか。という議論が起こりました。コーランにはズバリ「コーヒーを飲んではいけない」とは書いてません。戒律の解釈の問題です。
根強い反対意見はあったようですが徐々に飲まれるようになったようです。
やがてコーヒーはアラビア半島からシリア、エジプト、イラン、インドに広がりました。
オスマン帝国にやってきたコーヒー
スレイマン1世(1520-1566)の時代。
イエメンの知事、オズデミル・パシャはコーヒーが大好きで飲んでいました。そしてオズデミル・パシャは、イスタンブールにやってきて皇帝にコーヒーを献上しました。
コーヒーは宮殿でも注目を集め嗜好品として飲まれるようになりました。宮殿の厨房には、コーヒーを入れる係まで作られました。
皇帝のコーヒーを入れる係は忠誠心があって口が硬い人々の中から選ばれました。それはコーヒーが皇帝や高官が集まる場で出されていたことを意味します。
イスラムの伝説では歴史上最初にコーヒーを飲んだのは伝説の王シュレイマン(ソロモンのこと、トルコ語ではスレイマン)とされます。
奇しくもオスマン帝国でも最初にコーヒーを飲んだ皇帝はスレイマン1世でした。
スレイマン1世が飲んだということはヒュッレムも飲んだでしょう。むしろヒュッレムの方が好きだったのかもしれません。
もちろんコーヒーはハレムでも人気になりました。
オスマン帝国外伝でも宮廷で最初にコーヒーを飲んだのはヒュッレムになってました。
オスマン帝国では皇帝とその家族だけでなく宰相たちもコーヒーを飲みました。
コーヒーは宮殿から高官の邸宅で飲まれるようになり、やがて庶民の間にも広まります。その新しい飲み物は短い期間の間にイスタンブールの人々に広まりました。
イスタンブールの人々は購入した生のコーヒー豆をフライパンで焙煎し、乳鉢で殴り、すりつぶした豆を煮て上澄み液を飲みます。トルココーヒーの誕生です。
1544年。2人のシリアのアラブ人がイスタンブールのスパイスバザールの南西にあるタタカレという地区で最初のカウエハネ(喫茶店)をオープンさせました。
1544年はリュステム・パシャが大宰相になった年。
1547年にイランのアルカス王子がオスマン帝国にやってきてイランとの戦争になります。ドラマ「オスマン帝国外伝」ではこのころにスンビュルがコーヒーの商売を始めます。でも史実ではこの頃より前にコーヒーはオスマン帝国に入っていました。
残念ながら最初のコーヒーを出す店はスンビュルではありませんでした。ドラマでもスンビュルは他の人からコーヒーを教えてもらっています。スンビュルより前にコーヒーを知っている人がいたのは間違いありません。でも世間にはあまり広まってなかった。という設定なのでしょう。
コーヒーはメッカでは物議を醸しました。オスマン帝国ではどうだったのでしょうか?
当時、コーヒーが有益かどうかは議論の余地がありました。
彼の前のShaykhal -Islamsとは対照的に、 Bostanzade Mehmet Efendiは、と述べたファトワを与えました。
オスマン帝国のイスラム法学者・ボスタンザデ・メフメト・エフェンディ(1536~1598年)は「コーヒーはハラームではなく、いくつかの利点がある」というファトワを発表。
ファトワとはイスラム法学者の発表する意見書のようなもので。現代で言うと裁判所の判例みたいなもの。法律ではありませんが、それに近い社会的影響力を持っています。オスマン帝国では事実上の法律のように扱われていました。
オスマン帝国ではイスラム法学者が「イスラムの教えには反しない」と認めたことで宮廷だけでなく市民にも広がります。
そしてキョセムの時代にはイスタンブールのまちなかにコーヒーを出す喫茶店が流行り、市民がコーヒー(トルココーヒー)を楽しむようになっていました。
世界に広がるコーヒー
コーヒーがヨーロッパに伝わるキッカケは、イスタンブールに来たヴェネツィアの商人がコーヒーを気に入ったことでした。
ヴェネツィアの商人はコーヒーをヴェネツィアに運びました。
1615年。ヨーロッパで初めてコーヒーが飲まれたとされます。
最初はコーヒーはレモネードの売り手によって路上で販売されていました。やがて1645年にイタリア初の喫茶店がオープン。喫茶店は人気になり、短期間で急速に増えていきました。
他の多くの国と同様に、芸術家、学生、そしてあらゆる分野の人々が集まり、おしゃべりをする最も人気のある場所になりました。
コーヒーは1643年にパリに、1651年にロンドンに到着しました。1711年にはフランスでコーヒーを布で濾す方法が開発され、徐々に現代のようなスタイルに変化していきました。
そしてコーヒーはヨーロッパから世界に広まりました。
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