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ヒューマシャ皇女|謎の多いムラト3世とサフィエの長女とは?

オスマン帝国国旗

ヒューマシャ・スルタンは17世紀のオスマン帝国の皇女。

12代皇帝 ムラト3世とサフィエ・スルタンの長女です。

トルコのドラマ「新オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム」にも登場します。

ヒューマシャ・スルタンは記録の少ない人物です。

そこで数少ない記録からわかることとドラマのヒューマシャ・スルタンについて紹介します。

 

目次

ヒューマシャ・スルタンの史実

名前:ヒューマシャ・スルタン(Hümaşah Sultan)
地位:オスマン帝国皇女
生年:1564年
没年:1606年
父:ムラト3世
母:サフィエ・スルタン
夫:不明
宗教:イスラム教スンニー派

ムラト3世とサフィエ・スルタンの長女。

ヒューマシャ・スルタンは1564年に誕生。

父はマニサの太守ムラト皇子(後のムラト3世)
母はサフィエ。

1606年。イスタンブールで死亡。

死後。アヤソフィアモスクのムラト3世廟に埋葬されました。父ムラト3世や母サフィエと同じ場所に葬られています。

ヒューマシャ・スルタンは記録が少なく、誰と結婚してどのような人生を送ったのかはわかりません。

そのためドラマのヒューマシャ・スルタンは両親が史実と同じ以外はオリジナルな人物として設定されています。

 

ドラマ「新オスマン帝国外伝」のヒューマシャ

新オスマン帝国外伝・影の女帝キョセム 2015年、トルコ 演:ヴィルダン・アタセバー

サフィエ・スルタンとスルタン・ムラド3世の長女。
アフメト1世の叔母。

血縁関係は史実と同じ。

でもヒューマシャ・スルタンの記録がほとんどないのでドラマのヒューマシャはほぼオリジナルな人物として設定されています。

ドラマの中では若いころエジプト総督のハサン・パシャと結婚。

アフメト1世の即位後。皇帝の招きでイスタンブールにやってきました。そこでズルフィカールと出会います。

母后ハンダン・スルタンの死後。アフメト1世の要望で母后の権限を引き継ぎました。ヒューマシャ・スルタンはその権限を使って追放になっていたサフィエを呼び戻したり、ハサン・パシャと離婚しようとしました。ところがハサン・パシャがイスタンブールにやってきて賄賂を記録した日記を持ち出して脅迫。ヒューマシャ・スルタンはその日記を奪おうとしますがキョセムに阻止されます。離婚を諦めてエジプトに戻りました。その後、ハサン・パシャは死亡。

その後、イスタンブールにやってきてズルフィカール・パシャと結婚。母サフィエ・スルタンとともにヤーセミン・ハトゥンをハレムに招き入れました。サフィエはヤーセミンを使って皇帝を殺害しようとしましたが。ヒューマシャが阻止。

ヒューマシャ・スルタンは何度かイスケンデルと会っていましたが。彼が行方不明になっていた弟のヤフヤ皇子だと知りました。アフメト1世の死後はイスケンデルを王位につけようとします。でもキョセムと内通しているズルフィカールによってイスケンデルが殺害されてしまいます。その後、ズルフィカールと離婚しようとしますがオスマン2世は認めませんでした。

自分の子がいないヒューマシャ・スルタンは皇族男子の殺害には徹底して反対。アフメト1世の皇子たち、オスマン2世の皇子たちも守ろうとしました。

しかし最後はエジプトに戻りました。

 

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