ハンダン・スルタンはオスマン帝国の皇族。
13代皇帝・メフメト3世の側女、そして14代皇帝・アフメト1世の生母です。
アフメト1世は13歳で即位しました。そのため母后(ヴァリデスルタン)のハンダン・スルタンが摂政になり大きな影響力をもちました。
ところがハンダン・スルタンの権力も長くは続きません。
アフメト1世が即位して2年後。ハンダン・スルタンは病気になってこの世を去りました。
ハンダン・スルタンはどういう人物だったのか紹介します。
ハンダン・スルタンの史実
名前:ハンダン・スルタン(Handan Sultan()
地位:オスマン帝国
生年:不明
没年:1605年
父:不明
母:不明
夫:メフメト3世
子供:セリム、スレイマン、アフメト1世、娘2人
ハンダンはボスニア出身。
ルメリア総督のセラー・メフメド・パシャの家の召使いでした。
「ハンダン」という名前は笑顔を意味します。
セラー・メフメト・パシャはセリム2世の娘ゲヴハルン・スルタンの夫です。
1583年。メフメト皇子がサルハンのサンジャックベイ(知事)になったとき。セラー・メフメト・パシャとゲヴハルン・スルタンはハンダンをメフメトに紹介しました。
1595年。12代皇帝・ムラト3世が死去。メフメトが即位しました。
ハンダンはメフメトと一緒にイスタンブルのトプカプ宮殿にやってきました。
ハンダンには5人の子供がいました。男子3人、女子2人です。
ハンダンの長男セリム、次男スレイマンは若くして死亡。三男アフメトが成人しました。
母后
1603年。メフメト3世が死去。アフメト1世が即位しました。
このとき、アフメト1世は13歳。非常に若い皇帝でした。
ハンダンは母后(ヴァリデスルタン)になりました。
1月9日。メフメト3世の母・サフィエとムスタファ皇子が旧宮殿(エスキサライ)に移動しました。
アフメト1世は13歳と非常に若いので、ハンダン・スルタンはアフメトの家庭教師ムスタファ・エフェンディとともに共同摂政になり、帝国の運営に携わっていきました。
アフメトは勇ましい皇帝であるかのように振る舞いました。ハンダン・スルタンとムスタファ・エフェンディの指導でした。またアフメト1世はハンダンの影響で非常に信仰深い皇帝になりモスクの建設も行いました。
またアフメトは天候に関係なく、狩猟や視察にでかけました。宮殿よりも屋外でいることが多いのでハンダン・スルタンは息子が危険にさらされないように心配していました。
アフメト1世を支える大臣や役人たちにハンダンと同じボスニア人を採用するようにアフメト1世に勧めました。ハンダン・スルタンは大宰相にヤヴズ・アリ・パシャを採用するように推薦しました。
アフメト1世が即位した頃。ヨーロッパではオーストリアのハプスブルク家との戦いがつづいていました。
1604年の春。ハンダン・スルタンとムスタファ・エフェンディはアリ・パシャにハンガリーで指揮を執るように命じました。
1604年8月。アフメト1世は副総主人カシム・パシャの処刑をまいれいました。
1605年1月。後継者のサリクチュ・ムスタファ・パシャの処刑を命令しました。
ふたりともサフィエ・スルタンに近い政治家でした。サフィエ・スルタンの影響力を排除しハンダン・スルタンとムスタファ・エフェンディが決めました。
1604年夏。ハンダン・スルタンの影響もあって。アフメト1世は警備隊長をベイラン・アガからデルヴィーシュ・メフメド・アガに交代させました。
デルヴィーシュ・メフメド・アガはアフメト1世の信頼を得ました。
ハンダン・スルタンは他にもアフメト1世と他の政治家の仲介者になりました。アフメト1世に会いたい人は必ず事前にハンダン・スルタンの許可が必要でした。
1598年11月。シナンパシャオル・メフメド・パシャは、アナトリアの反乱を鎮圧するために派遣されました。
シナンパシャオル・メフメド・パシャはゲヴヘルハン・スルタンの娘と結婚していました。
ところがシナンパシャオル・メフメド・パシャは反乱を鎮圧できないばかりか、彼が反乱に加わっているという噂が流れるほどお粗末な対応しかできませんでした。
ハンダン・スルタンがとりなしたため、アフメト1世は処分を止めました。彼はイスタンブールに戻り宰相としての任務を引き受けました。
ところが彼は1605年8月20日に処刑されました。そのころにはハンダン・スルタンは病気で療養中でした。政治に介入することができなかったのでしょう。
1605年11月9日。療養生活ののちハンダン・スルタンはトプカプ宮殿で死去。
アフメト1世の即位からわずか2年後のことでした。ハンダン・スルタンの葬儀では彼女の魂のために多くの供物が供えられ、施しがおこなわれました。
イスタンブールのアヤソフィアモスクの隣にある霊廟に葬られました。
TVドラマ
新オスマン帝国外伝キョセム s1 演:テュリン・オゼン
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