バルシネはペルシャの王女。
スタテイラ2世ともいいます。
ドラマ「ポロス・古代インド英雄伝」ではバルシネの名前で登場します。
バルシネ(スタテイラ2世)について紹介します。
バルシネ(スタテイラ2世)の史実
名前:スタテイラ2世(Stateira II)、バルシネ(Barsine)
国:アケメネス朝ペルシア→アルゲアス朝マケドニア
地位:ペルシア王女→マケドニア第2王妃
生年:不明
没年:紀元前323年
父:ダレイオス3世(ペルシア王)
母:スタテイラ1世(ペルシア王妃)
妹:ドリュペティス
弟:オコス
子供:なし
日本では弥生時代。
ペルシアの王女
父はアケメネス朝ペルシアの王ダレイオス3世。
母はペルシア王妃スタテイラ1世
スタテイラ2世は二人の長女として生まれました。生年は不明。母の名前を受け継いでスタテイラ2世といわれます。バルシネと呼ばれることもあります。
公式的にはスタテイラだったようです。バルシネという名前も伝わっています。母の名前もスタテイラで紛らわしいので、バルシネは通称だったかもしれません。
父ダレイオス3世はハンサムで、母スタテイラ1世は美人と評判が高かったようです。娘のスタテイラ2世も両親の美しいところを引き継いで美人の評判がたかい王女でした。
彼女の生年はわかりませんが、紀元前333年ごろまでには結婚適齢期になりました。
マケドニアの捕虜になる
アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がペルシアに遠征した時。ダレイオス3世は軍を率いて迎え撃ちました。このとき母スタテイラ1世とともにスタテイラ2世も遠征に同行しました。ぺルシアでは王の遠征に家族が同行するのは珍しくなかったようです。
紀元前333年11月。イソッソスの戦いでペルシア軍がギリシア軍に敗北。ダリウスは逃亡に成功しましたが、スタテイラ2世と家族はギリシア軍に捕まりました。
普通、捕虜になるとひどい扱いをうけるものですが。
アレキサンダーの命令でスタテイラ2世と母スタテイラ1世、妹ドリュペティス、弟、父型の祖母シシュガンビスは丁重にあつかわれました。王族にふさわしい待遇だったようです。
アレキサンダーが遠征を行う2年間。スタテイラ2世と彼女の家族はアレキサンダーに同行しました。
ところが紀元前333年から331の間に母スタテイラ1世が死去。祖母シシュガンビスがスタテイラ2世たち姉妹の保護者になりました。
戦場ではだらしないところをみせた父ダリウス3世ですが。家族が捕虜になったのを黙ってみていたわけではありません。家族を釈放するようにアレクサンドロスと何度も交渉しました。身代金の用意もしましたがアレクサンドロスはスタテイラたちを返しませんでした。
ダリウス3世は、スタテイラとアレクサンドロスの結婚を提案、結婚とひきかえに既に占領した土地を放棄すよう要求しました。
アレクサンドロス3世はダレイオスの提案を拒否。スタテイラは既にアレクサンドロスの元にいるので、結婚にダレイオスの許可は必要ないとダレイオスの要求を断りました。
紀元前330年。アレクサンドロス3世はスタテイラ2世と家族をスーサに住まわせました。そこでギリシア語を勉強させました。
アレクサンドロスはスタテイラとの結婚を決めていて彼女と言葉が通じ合うようにギリシア語を教えさせたのかもしれません。
アレキサンダー大王と結婚
紀元前324年。スーサの結婚式で、アレクサンドロス3世とスタテイラ2世は結婚。アレクサンドロスの2人目の妻になりました。
マケドニアは一夫多妻制でした。
またアレクサンドロスはパリュサティスとも結婚しました。パリュサティスもペルシアの王族です。
スーサの結婚式はアレクサンドロスと部下たちとペルシアの女性90人の結婚式が一緒に行われる合同結婚式でした。
男はすべてギリシア・マケドニア人、女はすべてペルシアやその周辺地域の人たち。逆はありません。征服者が現地の女性と結婚するのは古来よりよくあることです。これはギリシア人がペルシアの支配者になったことを意味しました。
5日間も続いた盛大な式典でした。
このとき、妹のドリュペティスは、アレクサンドロスの腹心ヘファイスティオンと結婚しました。
第1王妃ロクサネに殺害される
ところが。結婚した翌年。
紀元前323年にアレクサンドロスは死亡します。
アレクサンドロスの死後。1番めの妻・ロクサネは腹心のペルディッカスと共謀してスタテイラ2世を殺害しました。どうやらこのときスタテイラ2世は身ごもっていた、あるいはその可能性があったようです。
ロクサネは自分と息子アレクサンドロス4世の地位を安泰にするため、王位争いのライバルになりそうなスタテイラ2世を抹殺したようです。
もうひとりのバルシネ
ダレイオス3世の娘スタテイラ2世とは別にバルシネという女性もいました。2人はほぼ同じ時期に捕虜になったのでよく間違われます。
フリギアの総督アルタバゾス2世の娘。紀元前363年に生まれました。ロドス島のメントルの妻になり、メントルの死後はメントルの弟のメムノンの妻になりました。
紀元前333年。ダマスカスがマケドニア軍に占領されるとバルシネと彼女の子供は捕虜になりました。
彼女もアレクサンドロスの側室になったと言われますが、事実かどうかは怪しいです。バルシネがマケドニア軍の捕虜になったときは30歳でした。当時23歳だったアレクサンドロスと結婚するには歳上すぎるようにも思えます。
アレクサンドロスの死後。後継者争いが起こります。そのときバルシネの息子ヘラクレスがアレクサンドロスの息子とよばれました。ヘラクレスを王位につけようとする人たちがでっちあげた作り話だったようです。
アレクサンドロスが主催したスーサの合同結婚式ではメントルとバルシネの娘を将軍ネアルコスに嫁がさせました。
このネアルコスがヘラクレスの王位継承権を主張しました。結局、誰にも認められず、バルシネとヘラクレスも後継者争いの中で殺害されます。
ドラマ
ポロス 2017、インド 役名:バルシネ
インドの女優 リヤ・ディープシ(Riya Deepsi)が演じました。
ドラマでは「バルシネ」の名前で登場します。母スタテイラもドラマに登場するので、紛らわしさを避けるためバルシネにしたのでしょう。父ダレイオスと一緒にインドにやって来ました。気の強い王女として描かれます。
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