エスマハン皇女はオスマン帝国の皇女。
史実ではヒュレムの息子・メフメド皇子と結婚しました。いとこ同士の結婚になります。メフメド皇子は王位後継者として期待されていましたが若くして死亡してしまいます。
エスマハン皇女はわずか17歳で未亡人になってしまいました。
ドラマ「オスマン帝国外伝」にも登場しますが、メフメトとは結婚しません。
エスメハン皇女について紹介します。
エスマハン皇女の史実
名前:エスメハン
別名:バハルナズ
地位:オスマン帝国
生年:1525年
没年:1556年ごろ
父:ルトフィー・パシャ
母:シャー・スルタン
夫:メフメト
妹:ネスリハン
子供:ヒューマシャー・スルタン
エスメハンは1525年頃生まれました。
父は後に大宰相になったルトフィー・パシャ。
母はスレイマン1世の妹シャー皇女。
妹にネスリハンがいます。
父リュトフィーは転勤が多かったのでエスマハンもシリア、アナトリア、カラマン、カスタモヌで育ちました。
両親は仲が悪く喧嘩をしていたようです。
親の影響で姉妹の仲にも影響を与えました。エスマハンは母シャー・スルタンの味方、妹ネスリハンは父ルトフィーの味方をしていたようです。
1539年。いとこのメフメド皇子と結婚しました。
メフメドはスレイマン1世とヒュレムの息子です。
結婚後、メフメドはエスメハンにバハナルズ(Baharnaz)という名前を与えました。
バハナルズは「素晴らしい春」という意味です。
1540年。娘のヒュマ皇女が生まれました。
1541年。夫のメフメドがマニサの知事になりました。エスメハンも夫とともにマニサで暮らします。
王位後継者がマニサの知事になることが多かったので事実上の皇太子になったも同然です。当時のスレイマンはムスタファよりもメフメドを後継者にしようと考えていたようです。
1543年。しかし夫のメフメドは天然痘にかかり、若くして死亡してしまいます。
エスメハンはわずか17歳で未亡人になってしまいました。メフメドの死後、エスメハンは娘とともにイスタンブルに戻ります。
娘のヒューマシャーはヒュッレムが引き取って自分の娘として育てました。
エスメハンは宮殿から出されて母のシャー皇女にひきとられコンヤで暮らしました。
夫を失ったエスメハンは精神的にも病んでいたようです。
1556年ごろ。イスタンブールで死去しました。享年32歳。死因は不明です。心痛で死亡したとも自殺したともいわれます。
ドラマ「オスマン帝国外伝」のエスマハン皇女
エスマハンはドラマ「オスマン帝国外伝」でも登場。メフメド王子の妹ミフリマーフとはよい友人。マルコチョールを巡って争ったり。話し相手になったり、同世代の女友だち的存在として描かれます。
でも劇中ではエスマハンはメフメドには恋しているという設定ですが、メフメドとは結婚しません。
史実ではエスマハンはヒューマシャー皇女を産みますが。ドラマではミフリマーフとリュステムの娘になっています。
ドラマではエスマハン皇女の母・シャー皇女とヒュッレムが対立します。そのため子供同士が結婚する展開にはしづらかったのでしょうね。
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