ジャンフェダー・ハトゥン(ジャンフェダー・カルファ)はドラマ「オスマン帝国外伝シーズン4」の登場人物。
ジャンフェダ・ハトゥンは実在の人物です。
セリム2世の妃ヌールーバーヌー・スルタンに仕えました。
ムラト3世の時代のハレムを仕切った人物(ハーレム・ケトゥーダ(harem kethüdası)です。
ハレムの女官で名前がわかっている人は珍しいです。ジャンフェダ・ハトゥンは同じ時代に生きた高官や兵士の司令にまで名前が知れ渡るほどの有名人だったようです。
ハレムで大きな影響力を持っていたので賄賂や様々な贈り物を受け取っていました。
ムラト3世の時代には、給料の不払いで兵士たちが反乱を起こした時。ジャンフェダ・ハトゥンの処刑を要求したくらい有名でした。
ジャンフェダ・ハトゥン(ジャンフェダ・カルファ)はどのような人だったのか紹介します。
ジャンフェダー・ハトゥンの史実
名前:ジャンフェダー・ハトゥン(Canfeda Hatun)
生年:不明
没年:1600年
享年:不明
兄弟:ディバン・イブラヒム・パシャ、
(大宰相になったパルガル・イブラヒム・パシャとは別人)
マフムード・パシャ(アレッポの知事)
ジャンフェダ・ハトゥンの生年月日は不明です。
出身地はチェルケス。(現在のロシア南部コーカサス山脈あたり)
兄弟にディバン・イブラヒム・パシャ、マフムード・パシャがいます。
いつ宮廷に入ったのかは不明。
セリム2世の妃ヌールバーヌ・スルタンに仕えました。ヌールバーヌが皇子妃だった時代からセリムのハレムにいたようです。
頭がよく、才能があったのでヌールバーヌの信頼をました。
11代皇帝・セリム2世の時代
スレイマン1世の死後。セリム2世が即位。ジャンフェダ・ハトゥン
ヌルバーヌ・スルタンとともに旧宮殿からトプカプ宮殿にやってきました。
セリム2世の時代。トプカプ宮殿のハレムのハーレム・ケチューダ(harem kethüdası:女官の最高位)に任命され。ヌールバーヌ・スルタンの下でハーレムの女性たちの教育や訓練を担当しました。
また、ハレムの監督係のガザンファー・アガ。宰相のララ・ムスタファ・パシャとも親しくしていました。
12代皇帝・ムラト3世の時代
セリム2世の死後。ムラト3世が即位。ヌールバーヌは母后(ヴァリデスルタン)になりました。
1583年。ヌールバーヌ・スルタンが死去。
ヌールバーヌは臨終の床でムラト3世とその妃サフィーエ・スルタンを呼んで、ヌールバーヌの死後もジャンフェダ・ハトゥンをハレムのトップでいさせるように命令しました。
ヌールバーヌスルタンの死後。ジャンフェダ・ハトゥンはハレムで大きな影響力をもちます。
サフィーエ・スルタンはヌールバーヌ・スルタンとは嫁姑関係。主のライバルになります。でもジャンフェダ・ハトゥンは有能だったせいか、サフィーエ・スルタンからも気に入られました。
財務担当のラツィエ・ハトゥン、詩人のフビ・ハトゥンとも良好な関係を作りました。
ムラト3世の時代にはセリム2世の時代よりも大勢の側女たちがいました。ジャンフェダ・ハトゥンはムラト3世の寵姫たちとも良い関係を築きあげました。
こうして上は妃、下は側女やハレムで働く多くの人々と人脈を築き上げ。大きな影響力を持ちました。ムラド3世の治世は「女人政治時代」ともいわれます。ハレムの人々が政治に影響を与えた時代です。ハレム政治の中でもジャンフェダ・ハトゥンの役割は大きかったのです。
サフィエ・スルタンは内政や外交にも影響力を持っていました。サフィエ・スルタンなど有力な女性皇族に取次するためにはジャンフェダ・ハトゥンを通さないといけません。そのためジャンフェダ・ハトゥンは賄賂や高価な贈り物を受け取ることができました。
彼女は賄賂や贈り物などで得た金品でかなりの財産を築き上げました。そのため一部の高官や軍の司令官からは反感を買いました。
1580年代。オスマン帝国は長引く戦争と不景気で財政赤字になりました。そこで兵士たちの給料を減らしました。
やがて軍の兵士の給与の支払いが遅れてイェニチェリ(常備歩兵軍団)が反乱を起こしました。不満を溜め込んだ兵士たちは、大宰相、財務大臣、そしてジャンフェダ・ハトゥンの処刑を要求しました。しかしムラト3世は拒否。なんとか反乱軍の鎮圧に成功しました。
大宰相、財務大臣に批判が集まるのはわかりますが。ハレムを管理しているジャンフェダの名前が出たのは賄賂をもらって私服を肥やしている。という批判があったのでやり玉に挙がったようです。
ジャンフェダ・ハトゥンにはデリ・イブラヒム・パシャとマフムード・パシャという二人の兄弟がいました。デリ・イブラヒム・パシャはディヤルバクル知事。マフムード・パシャはアレッポの知事になりました。
あるとき、兄のデリ・イブラヒム・パシャが知事を解任されことがありました。するとジャンフェダ・ハトゥンは影響力を利用して皇帝に贈り物を贈って兄を職務に復帰させました。
ジャンフェダ・ハトゥンの名前は他のイベントにも関わっていました。
1595年にムラドが亡くなった後。旧宮殿(エスキサライ)に送られました。
エスキサライに行った後もヨーロッパの品物を入手するためにベネチアと連絡を取っていました。
1600年に死去。
ジャンフェダ・ハトゥンの死後。兄弟たちは勢いを失いました。
慈善活動
ジャンフェダ・ハトゥンは彼女の莫大な財産の一部を慈善団体に寄付しました。イスタンブール カラギュムリュクの老朽化したモスクを修理したり。
ヌールバーヌの死後。ジャンフェダ・ハトゥンモスクを建設しました。
イスタンブル市内にある「ジャンフェダ・モスク」
200万アクチェ(銀貨)を費やし、サラチャネに噴水を建設。モスクを修理しました。
1593年。ジャンフェダはアクババ村、ベイコズ村にモスクと浴場を建設しました。
また、スルタンからイスタンブールのジャンフェダ・モスクとゲディク・アフメド・パシャによって建てられた近くの浴槽に水を運ぶための水輸送システムを修理および拡張する許可を受けました。
ドラマ「オスマン帝国外伝」でのジャンフェダ
オスマン帝国外伝シーズン4 2014年、トルコ
演:Kübra Kip
シーズン4の初めにセリム皇子のハーレムの女官として登場。
セシリア(後にヌールバーヌ)がハレムに来た時は、ジャンフェダーが様々な指導を行い、小言をいう場面も多かったです。セシリアが自殺しようとした後には彼女にヒュッレムの話をしました。セシリアが生きる目標を見つけるキッカケになります。
その後、セリムのハレムに配属になったヌールバーヌがセリムの寝室に行くのを助けました。ヌールバーヌーの地位が上がるとジャンフェダはヌールバーヌに仕えるようになります。
ヒュッレムの死後。ヌールバヌの命令でスレイマンからヒュッレムに送られた指輪を盗みました。
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