ベルトラン・デ・ラ・クエバ(Beltrán de la Cueva)はカスティーリャ王国の貴族です。
エンリケ4世の忠実な家臣として仕えました。しかし国王に対立する貴族に王女フアナの父親という噂を広められてしまいます。しかしその後も王家からの信頼が損なわれることはなく、カスティーリャ王家に仕えつづけます。
ベルトラン・デ・ラ・クエバについて紹介します。
ベルトラン・デ・ラ・クエバの史実
名前:ベルトラン・デ・ラ・クエバ(Beltrán de la Cueva)
地位:カスティーリャ女王
生年:1443年
没年:1492年
父:ディエゴ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバ
母:
妻:
日本では室町時代。日野富子(1440~1496年)とほぼ同じ時代の人です。
国王に仕える
父ディエゴ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバは商人であり銀行家でした。エンリケ4世とも親しくしており、エンリケ4世はディエゴにウエルマ子爵の位を与えました。
ベルトランがエンリケ4世に仕えるきっかけについてはこのような逸話があります。
エンリケが王になって2年目のときディエゴの街にやってきてディエゴの家に泊まりました。エンリケ4世が家を立ち去るときディエゴに感謝のしるしとして息子を家臣として取り立てようと言いました。ディエゴは次男のベルトランを王に同行させました。
その逸話が本当かどうかはわかりません。しかし父ディエゴがエンリケ4世の信頼を得ており、ディエゴが息子が宮殿で働けるように手を尽くしたのは間違いないようです。
エンリケ4世に仕えることになったベルトランはすぐに王のお気に入りの家臣になりました。インファンタード公爵の娘と結婚します。
フアン王女の父にされる
1460年。カルモナの要塞の所有権、アグレダの城の所有権が与えられました。
ベルトランの兄弟グティエールがパレンシアの司教に任命さました。
1462年。第一伯爵の位を与えられます。
1462年。フアン王妃がフアン王女を出産しました。エンリケ4世の最初の子供です。喜んだエンリケ4世はすぐに王位継承者にしました。
1463年。アルバカーキ公爵と特権のひとつグランデも与えられました。グランデは爵位とは別に与えられる「王の前でも帽子を取らなくて良い」という特別待遇です。グランデには実際の権力はありませんが大変名誉なこととされました。
しかしベルトランの破格の出世は周囲の貴族たちの反感を集めます。そのひとつが王妃フアナとの不倫話です。
フアン王女の父親にされる
フアン王女が2歳になったころ。国王と対立する貴族たちはフアン王女の王位継承に反対しはじめました。ベルトランと仲の悪かったフラン・パチェコはフアン王女がエンリケ4世の娘ではなく、ベルトランの娘だと主張。パチェコの仲間の貴族たちもベルトランはフアン王妃の愛人、フアン王女がベルトランの娘だといいふらしました。
フアン王女がベルトランの娘だという証拠はありません。しかし広まった噂はフアン王女の立場を危うくしました。
1663年。貴族の圧力に負けたエンリケ4世はベルトランを宮殿から追放します。しかしその見返りとしていくつかの領地と城が与えられました。
1666年1月。エンリケ4世と貴族の交渉が決裂。カスティーリャは内乱状態になりました。
エンリケ4世はベルトランを呼び戻しました。ベルトランは王の呼びかけに応えて宮殿に戻り王立軍を率いて反乱貴族と戦いました。
1467年。第二次オルメドの戦いでアルフォンソを支持する反乱貴族と戦い勝利します。褒美としてウエルマの領地が与えられました。この戦いでは双方が勝利を宣言したので最終的な勝者はわかりませんが。ベルトランの部隊は功績をあげたようです。
1468年にはアルフォンソが死亡。反国王派はイサベルを担ぎますが国王と和平しました。
イサベルが正当な後継者に選ばれます。
カスティーリャ内戦でイサベルに味方する
1474年。エンリケ4世が死去。イサベルとフアンが両方とも女王だと宣言したため、再び内戦になりました。
しかしこの戦いではベルトランは自分の娘と噂されたフアン王女には味方せず、イサベルに味方しました。ベルトラン自身はフアンを自分の娘だと認めていなかったのです。
この時点では正当な王位継承権はイサベルにありました。国内でもイサベルに味方する貴族が圧倒的に多いです。フアナ王女には外国のポルトガルが援助していました。カステーリャ王家に仕えるベルトランとしてはイサベルに正当性があると判断したのかもしれません。
1475年。イサベル1世・フェルナンドはベルトランが持つ領地の所有権を認めます。以後、ベルトランはイサベル1世・フェルナンドに忠実に仕えます。
グラナダとの戦いにも出陣し、カスティーリャのために戦いました。
1474年。二度目の結婚。
1482年。三度目の結婚をします。
1492年。クエラの城で死去しました。
作られた噂
ベルトランについてはフアナ王妃の愛人だとか、フアナ王女の父親という噂が広まり多くの人が信じました。これらの噂はベルトランと対立していたフアン・パチェコ達貴族が流したものです。政敵を陥れるためのデマの可能性が高いです。またフアナ王女と王位継承争いをしたイサベルにとっても都合のいい噂です。だから事実であるかのように広められたようです。
ベルトランはフアナ王女ではなくイサベルに仕えました。本気でフアナ王女の父親だと思っていたらイサベルはベルトランを手元には置かなかったでしょう。
確かにベルトラン自身は生涯に何度も結婚し愛人もいました。好色だった人物なのは確かでしょう。しかしベルトランとフアナ王妃の噂話の多くはイザベル1世の時代に作られた記録のようです。
イサベルとフアナ王女の王位争いではイサベルに味方することでフアナの父親ではないことを証明しょうとしたのかもしれません。ベルトラン自身はカスティーリャに忠実に仕えていただけなのかもしれません。
コメント