エリザヴェータ・ペトロヴナはロマノフ朝ロシア帝国の第6代皇帝です。
エリザヴェータはやや太り気味でしたが、色白で美人だったといわれます。
ロマノフ朝ロシア帝国の伝説的な皇帝ピョートル1世の娘ということで国内での人気は高く。ロシア皇帝になりました。
公式的には決まった夫はもたず何人かの愛人と関係をもちました。
子供はできず甥のピョートル3世を後継者にします。
内政にはあまり関心をもたず側近にまかせ自らは芸術や科学の発展に尽くしました。ダンスやグルメ、演劇が好きでした。多くの豪華な建築物を造ったことでも有名です。サンクトペテルブルクにある宮殿の多くはエリザヴェータの時代に立てられたものです。
贅沢で浪費家といわれることも多いエリザヴェータ。その一方では文化や芸術が発展した時期でした。
その一方で何度も外国と戦争し、特にプロイセン皇帝フリードリヒ2世を毛嫌いしてプロイセンとの戦争を続けました。
ロシア皇帝エリザヴェータはとはどんな人だったのでしょうか。
エリザヴェータ・ペトロヴナとは
名前:エリザヴェータ・ペトロヴナ
(ロシア語:Елизавета Петровна)
地位:ロマノフ朝ロシア帝国皇帝
生年:1709年
没年:1762年
在位:1741年~1762年
父:ピョートル1世(ロシア皇帝)
母:エカリーナ1世
夫:者 アレクセイ・ラズモフスキー(秘密婚)
子:なし
1709年。ロシア皇帝ピョートル1世とエカテリーナとの間に産まれました。しかし当時はまだ二人の結婚は公式には発表されていなかったので私生児の扱いでした。
ピョートル1世の死後は後継者が決まってなかったため、母のエカテリーナ1世が皇帝になりました。
エカテリーナ1世の死後、エリザヴァータは王位後継者の候補になります。しかし私生児という理由で選ばれませんでした。皇帝になったのは従姉妹のアンナでした。その後イヴァン6世が即位。幼かったためイヴァン6世の母アンナ・レオポルドヴナが摂政になりました。
しかしピヨートル1世の娘ということでエリザヴェータの人気は高く、アンナはエリザヴェータを幽閉しようとしました。そこでエリザヴェータは自分を支持する近衛兵に命じて折衝のアンナ・レオポルドヴナたち政府要人を逮捕しました。イヴァン6世を幽閉しました。エリザヴェータは看守にたいして、イヴァン6世が救出されそうなときはすぐに抹殺するように命令しました。
イヴァン6世支持派の陰謀を潰して絶大な権力を手にします。しかしエリザヴェータ自信は政治にはあまり関心がなかったようです。エリザヴェータが選ばれたシュヴァロフ兄弟やヴォロンツォフ伯爵が政治を行っていました。彼らは税制を改革し、国内産業の育成を行ったためロシアの経済は良くなります。
1741年。スウェーデン軍がフィンランドに侵攻。ロシアはスウェーデン軍を破ってフィンランド南部をロシア領にしました。スウェーデンの王位争いにも介入して親ロシア派の国王を即位させます。
1742年。子供のいなかったエリザヴェータは甥のカール・ペーター・ウルリヒを後継者に決めました。後のピョートル3世です。彼の妻にはエカテリーナ・アレクセーエヴナの名を与えました。エカテリーナに息子のパーヴェルが生まれると引き取って養育します。
オーストリアの後継者争いにも介入しましたがこちらは成果は挙げられませんでした。
1756年。プロイセンとイギリスが同盟を結びます。エリザヴェータはプロイセンがロシアとの同盟を破ったと判断。またエリザヴェータ自身がプロイセン王フリードリヒ2世を嫌いだったともいいます。
ロシアはオーストリア、フランスと同盟してプロイセンと戦争を初めます。
1757年。プロイセンとの戦争が続く中、エリザヴェータの体調が悪化。倒れますがプロイセンとの戦争をやめようとはせず、ひたすらフリードリヒ2世打倒をめざしました。ロシア軍は洗浄で勝利をおさめ戦争を有利にはこびました。
1762年。病状が悪化してエリザヴェータは死去します。享年54。
その後は甥のピョートル3世が後を継ぎました。ところがもともとプロイセンに親近感をもっていたピョートルはプロイセンと和睦。勝てる戦争をのがしてしまいました。その貴族の不満がエカテリーナ2世即位の理由のひとつになります。
愛人の多い女帝
エリザヴェータは公式には決まった夫がいませんでした。何人もの愛人がいました。
特に親しかったのはアレクセイ・ラズモフスキーでした。アレクセイは宮廷聖歌隊員です。エリザヴェータが皇帝になる前からの関係で政治には関心がありませんでした。
政治的に力を持っていた愛人はイヴァン・シュヴァロフでした。エリザヴェータ自身が国内政治にあまり関心がなかったことから、従兄弟のシュヴァロフ兄弟らとともにロシア国内の政治を行いました。
甥の妻・エカリーナ2世も多くの愛人を持ちましたが、エリザヴェータ公認だったといいます。似た者同士だったのかもしれません。
多くの愛人をもち、芸術や豪華な建物を多く建てたため浪費家とみられることも多いエリザヴェータ。彼女自身は政治に関心がなく側近たちに任せきりでしたが、彼らが優秀だったため貴族階級を中心に国内の経済はよくなりました。本人に政治の才能はなくても人を見る目はあったのかもしれません。
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