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ハティジェ・スルタン:オスマン帝国皇帝スレイマンの妹は未亡人

オスマン帝国国旗

オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム(原題:Muhteşem Yüzyıl(壮麗なる世紀))に登場するハティジェはオスマン帝国の皇女。10代皇帝スレイマンの妹です。

ハティジェ・スルタンともいわれます。スルタンは皇帝と訳されることが多いですが、オスマン帝国では皇族という意味です。皇女にもスルタンの称号が付きます。スルタンの女性系スルタナと呼ばれることもあります。

ドラマではスレイマンの小姓頭イブラハムと恋に落ちる王女として描かれています。

歴史上のハティジェはどのような人物だったのでしょうか。

目次

ハティジェ・スルタン

名前:ハティジェ(Hatice)
地位:オスマン帝国皇女
生年:1494年?
没年:1538年
父:セリム1世(Selim I)
母:ハフサ
夫:イスケンダー(死別)、イブラヒム?

子供:
メフメド皇子(Mehmed)?
ハヌム皇女(Hanim)?
フュレーヌ皇女(Fulane )?

ハティジェはイスラム圏では有名な名前

名前のハティジェ(Hatice)はイスラム圏では有名な名前。ムハンマドの母がハティージェという名前だったからです。キリスト教でいえばマリアに相当する名前です。でもイスラム教では人は崇拝の対象ではないので、マリアのように崇拝はされていません。

でもハティージェはイスラム圏では有名人なので名前はよく使われます。

ハティジェのおいたち

ハティジェはオスマン帝国皇帝セリム1世とハフサ・スルタンの娘です。
セリム1世には子供が多かったのですが、皇帝になったスレイマン1世は両親ともに同じです。

産まれ年は1496年や1498年など諸説あります。
1494年以前にトラブゾンで生まれたという説が有力です。姉妹の中では年長者でした。
父セリム1世がトラブゾンで知事をしていたときです。

 

ドラマ「オスマン帝国外伝」ではベイハンやシャーがハティジェの姉になっています。でも歴史上はハティジェが姉でした。

スレイマン1世の妹だったのは間違いありませんが、姉妹の年齢関係は史実とは違います。ドラマを面白くするための脚色なのでしょう。

ハティジェは姉妹の中でも最も美しかったといわれます。父セリム1世に一番可愛がられた娘でした。そのため甘やかされて育ったようです。

1510年。オマーンの知事で司祭もしていたダマット・イスケンダー・パシャ(Damad Iskender Pasha)と結婚しました。

しかしイスケンダーは1515年に処刑されてしまいました。父親セリム1世の命令だったのでしょう。

このときハティジェは19歳(21歳の可能性もあり)。若くして未亡人になってしまいました。その後は母ハフサと一緒に暮らしました。

1520年。兄のスレイマンが皇帝になりました。ハティジェは母ハフサとともに兄の宮殿で暮らしました。スレイマンはできる限りの待遇を与えハティジェを大切にしたようです。

イブラヒムとは結婚していない?

ハティジェはスレイマンの側近だったイブラハム・パシャと結婚したと長い間信じられていました。

イブラハムはスレイマンの小姓頭でしたが大宰相になりました。

しかし1536年。イブラハムは、スレイマンの命令で処刑され財産は没収されました。イブラハムはムスタファを次の皇帝に指示していました。そのため王妃ヒュッレムの陰謀で陥れられたともいわれます。イブラハムはサファビー朝ペルシャとの戦争で、スレイマンと意見が衝突することも何度かあったのでそのせいだともいわれます。

イブラハムの息子も処刑されました。

イブラハムの死後、ハテッィジェは夫の息子の死を嘆き悲しみました。

この説は長い間信じられていましたが2000年代後半になって詳しく調査したところ、ハティジェとイブラヒムが結婚したという確かな記録はありませんでした。

最近ではイブラハムが結婚したのはハティジェではなく、ムシャン・ハトゥンという女性だったともいわれます。

1538年。ハティジェは他界しました。享年42。

亡骸はイスタンブルのヤブズセリムキャミィ(セリム1世モスク)に葬られました。

イブラヒムと再婚していないとなると、イスケンダーの死後何をしていたのか不明なままです。スレイマン1世やハフサと一緒に一生ハレムで暮らしていたのかもしれません。

いずれにしても、王女でありながらあまり幸福な一生ではなかったのかもしれません。

ドラマではイブラヒムの死後、ヒュスレブと再婚しています。歴史上はヒュスレブとは結婚していません。

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